【台湾平定】日清戦争の“完全終了”と乃木希典に“感謝”するワケ

 

台南に住んでるむある台湾人が、「台湾台南の運命を変えた」ということばと一緒にこんな写真をSNSに投稿しているのを発見。
さてこれが日本の歴史のどの場面か、お分かりだろうか?

 

 

1894(明治27)年、朝鮮半島で民衆による大規模な反乱が勃発。
「無理!これを鎮圧するのは無理!」と判断した(李氏)朝鮮政府は清に支援を求めると、これに応じて清軍が出兵する。
この動きに合わせ、日本も天津条約に基づいて朝鮮半島に軍を派遣した。
両国はそのあと日清戦争に突入し、翌1895年に日本が清を撃破して勝利をつかむ。

とまぁ21世紀の日本人なら、歴史教科書に書いてあるこんな文章を読むだけなんだが、このときリアルタイムで生きていた福沢諭吉はこの知らせを聞いて歓喜感涙した。

日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有いとも云いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だアヽ見せて遣りたいと、毎度私は泣きまし た。

「福翁自伝 (福沢 諭吉)」

 

大国の清と戦うのは、当時の日本人にとってはイチかバチかの一大決心だったのだろう。
この日清戦争は1894年7月25日に始まり(正式な宣戦布告は8月1日)、1895年4月17日に講和条約(下関条約)が結ばれて、両国が朝鮮の独立や台湾の割譲を確認して終わった。
と一般的には思われている。
でも、日清戦争の「完全な終わり」は1895年11月30日という見方もある。
何をもって日清戦争の完全終了としたか?というのが本日のお題だ。

 

日本軍による一斉射撃

 

台湾が清の統治から離れて日本の領土となる。
これは両国政府のお偉いさんが話し合ってきめたことで、台湾に住んでいた人たちの意見は無視された。
だから、「これからは日本人になる」ということに納得できない人は当然多くいて、そんな不満勢力(軍官民)が台湾民主国の建国を宣言する。

だがしかし、ロシア・ドイツ・フランス・イギリスのどの国からも支持を得られなかった台湾民主国には、建国早々、もう滅亡する運命しかなかった。
1904年のニューヨークタイムスは当時の台湾について「清朝は入殖後も事実上この土地を放置し、その荒涼な無法者天国を放任状態に置いた」と書いていたから、日本が台湾を統治することに欧米諸国は不満はなかったのだろう。

日本軍が台湾に上陸して戦闘開始。
すると台湾民主国軍はあっちゅーまに撃破されて、6月4日に総統の唐景崧(とうけいそん)は持てる金を持って中国のアモイへ逃げてしまった。
なんという雑魚キャラ。
あとは残存勢力を片づけて、日本の台湾平定(乙未戦争)は1895年10月に終了。
台湾が日本の統治下に入ったことで、日清戦争も完全終了となる。

と文章で書くと簡単なんだが、この間の戦闘で日本は戦死者164名をふくむ5320名の死傷者、台湾では14000人の死者を出したといわれる。
だからこれはこれで、「ひとつの戦争」といっても過言ではないのだ。

 

この台湾平定のとき乃木希典が南部の中心都市台南に軍を進めて、あとは攻撃の合図をするだけという状態になった。
そうなったら当然、台南が血で染まることは避けられない。
それでイギリス出身のバークレー牧師が住民を代表して、乃木希典を訪ね降伏を申し出る。
乃木がそれを受け入れたことで台南は無血開城となり、多くの住民の命が救われた。

それがこの場面だ。

 

右のスーツ姿の男性がバークレー牧師で、左側で話を聞いているのが乃木希典

 

この記事はじめの台湾人はこう書く。

「1895年10月20日、乃木希典率いる日本軍がまさに台南を攻撃しようと構えていた直前、台南城内の有力者から懇望されたバークレーは日本側との交渉に出向いた。乃木との話し合いは順調にまとまって台南は無血開城する。」

これがうまくいかなくて戦闘になっていれば、彼はこの世に生まれなかったかもしれない。
台南人にとってこの無血開城は本当に大きな意味がある。
だから、このときの乃木希典の決断に感謝する台湾人もいるらしい。

 

乃木希典

 

この明治の軍人は武士道を体現したような人物で、敗者の名誉をとても尊重した。(これは明治天皇も同じ)
日露戦争ではロシア軍が守る旅順要塞を攻め落としたあと、要塞司令官のステッセリと会見した乃木は彼に帯剣を許して酒を酌み交わす。(水師営の会見

 

水師営の会見
乃木はステッセリと並んで座り、「対等」であることをしめした。

 

「写真を撮らせてほしい」とせがむ記者たちに乃木は、「敵将に失礼ではないか」「後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ」と一喝。

旅順攻囲戦での指揮とそのあと乃木が見せた武士道精神には、当時世界中から賞賛が寄せられた。

特に水師営の会見におけるステッセリの処遇については、世界的に評価された。乃木に対しては世界各国から書簡が寄せられ、敵国ロシアの『ニーヴァ』誌ですら、乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載した。

乃木に対する世界的賞賛

 

こんな乃木希典が住民を巻き込む戦闘を望んだとは思えない。
バークレー牧師が無血開城を申し出てくれて、救われたのは乃木のほうだったかもしれない。

 

 

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2 件のコメント

  • 乃木希典(のぎまれすけ)大将ですか・・・。明治期の日本軍を代表する英雄・名将であったことは間違いないですね。乃木大将と言えば明治天皇の死を悼んで夫婦ともども殉死、それを祀ったのが赤坂の乃木神社であり、その名をとった「乃木坂ナントカ」という女の子達がミリタリー風ファッションで売れたのも、何かの因縁でしょうか。
    明治生まれの私の祖母は、自分の兄弟を日露戦争で亡くしており、また太平洋戦争では自分の長男を東南アジア戦線で失っています。その祖母から私が子供の頃に乃木大将の話も時々聞いたのですが、国民を兵隊としてロシアへ差し向けしばしば無謀とも言える突撃で多くの兵を死なせたこと(その中の一人がたぶん自分の兄だったらしい)など、とても批判的で、戦前の軍国教育には強い反感を持っていました。
    日清、日露、太平洋と何度も続いた戦争が終わって、戦後昭和は本当にいい時代になったものだと、祖母は亡くなるまで言っていました。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。