バスは、セントレア空港に向け走り出す。
後は、1時間30分座っているだけで、セントレア空港に着く。
一人旅の良い点は一人でいられることで、悪い点は一人しかいないこと。
バスや列車を使って長時間移動するとき、周りの乗客に恵まれたら、楽しく過ごせていい思い出になる。
でも、周りの人と話すこともなく、車窓の風景にも飽きたときのヒマっぷりといったら、もう退屈地獄。
しかも、大抵の国は日本より広い。
中国では、北京からウルムチという都市まで列車で二泊三日かかった。
羊を数えようと思ったら、天文学的な数字になっていたと思う。
一人旅では、日本での空港までの移動もつまらない。
浜松から愛知県までの風景は見飽きた。
それに、インドネシアのように、周りの乗客から話しかけられることはないし、こちらからに話しかけたりすることもできない。
台湾のEVA AIRには、機体にキティちゃんがデザインの飛行機がある。
ただただ、ヒマ。
「暇つぶし」を英語にすると、「to kill time」になる。
このときは、このヒマをkillするために、二つのことが思い浮かんだ。
まずは、日本の「なんでもない」は、外国人からは「とんでもない」になることがあるということ。
最近、友人の台湾人が日本に旅行に訪れた。
ちなみに、この台湾人の彼女とは、台北にある世新大学の「日本語ボランティアガイド」のプログラムで知り合った。
これは、日本語を学ぶ台湾人の大学生が、無料でボランティアガイドをしてくれるという、とてもありがたいプログラムになっている。
ボクは、6,7年前にこれで彼女と知り合って台北を案内してもらtった。
「日本に来たら、ボクが案内します!」と、そのとき約束をしたから、今度はボクの番になった。
台北に行く人は、これに申しこんでみるといい。
というか、絶対、やりなって!
すごく良い思い出と友だちができるから。
無料といっても、ガイドしてくれる人の交通費や食費はかかるけどね。
その台湾人の彼女に日本の第一印象を聞いたところ、意外にも日本のバスだった。
「日本は、バスがきれいです!車内にごみは落ちていないし、席も清潔で座り心地ちも良かったです。特に良かったのが、バスの窓ですね。大きくて、汚れがなくてピカピカだから、街をきれいに見ることができました。もう、バスだけでも、台湾とは全然違います」
そりゃ、どうも。
ボクが台湾を旅行したときは、台湾のバスが汚かったイメージはなかった。
けれど、日本のバスの窓に比べたら窓の汚れが目立つていど。
ボクが旅行した限りでは、タイや韓国でもそんなもん、
日本の磨き上げられたバスの窓のキレイさが「おかしいレベル」だと思う。
あれが「当たり前」になってしまうと、どこのバスを見てもガッカリすることになってしまう。
この台湾人とバスのことを話していたときに、「台湾語に生きている日本語」について、面白いことを聞いた。
その昔、日本は台湾を植民地支配していた。
日清戦争で日本が清に勝ったことは中学校の教科書で習いましたよね?
日清戦争の講和条約で、日本は清から台湾をゆずり受けている。
そのころの台湾は、清(中国)から「化外(けがい)の地」と呼ばれていた。
だから台湾には失礼な言い方だけど、日本にとられてもどうでもいいような土地だった。
台湾の原住民は「化外の民」(国家統治の及ばない者)であるという清朝からの返事があり、これにより、日本政府は1874年(明治7年)、台湾出兵を行った。
(ウィキペディア)
日本は統治時代、台湾の各地に学校を建てている。
そして、現地の台湾人に日本語教育をおこなっていた。
そのため、今でも台湾語の中に、そのときの日本語が残っているという。
このときは、台湾人の彼女から「ウンチャン」という言葉を教えてもらった。
台湾で、バスやタクシーの運転手を「ウンチャン」と呼ぶことがあるという。
現在では、この言葉はあまり使われなくなったけれど、台湾人なら、聞けば意味は分かるらしい。
彼女は日本語を勉強していて、この言葉が日本語からきていることを知ったのだという。
「運ちゃん」か。
今の日本では、もうあんまり聞かない言葉だ。
ちょっと、運転手を軽くみているような感じはあるからか?
じゃあ台湾では、バスの運転手は「バスウンチャン」で通じるのか?
彼女は、バスの窓の他、ホテルの部屋のバスルームにあったガラスにも驚いていた。
「シャワーの後、蒸気がたくさんあるのにガラスがまったく曇っていないんです。これも台湾では見たことがありません。日本はいろいろなものの質が高いですね」
そりゃ、どうも。
台湾にあった韓国のガイドブック
「韓流」という言葉は、もとは台湾の言葉だった。
それが日本に輸入された。
ちなみに、「ウンチャン」以外にも、台湾語に残っている日本語はけっこうある。
「たたみ」「おばさん」「おじさん」などなど。
それでも極めつけは、知人の日本人が台湾に行ったときの話だ。
あるとき、そいつは珍しい蛇を捕まえるために台湾に行った。
そして、台湾人の知り合いと山深くに入っていく。
するとそこに原住民が住む村があって、村長が対応に出てきた。
彼らは都市部に住んでいる台湾人の彼とはまったく違う少数民族だったため、言葉が通じなかったらしい。
でも、その村長がボクの友人が日本人だと分かると、なんと日本語で話し始めた。
そのまま村長の家に招待してくれて、お茶とお菓子をご馳走になったという。
その村長は、日本統治時代の台湾のことや今でもNHKで大相撲を見ていることなどを話してくれたという。
この村長のような日本語世代の台湾人には、衛星放送でNHKを見ている人が多くいるという話を聞いたことがある。
そんな人の中には、こんな人もいるらしい。
NHKで日本の国歌が流れるといすから立ち上がって君が代が終わったら、また座るという人が。
彼と一緒にいた台湾人は、村長と友人が何を話しているかさっぱり分からず、とても不思議な気持ちだったという。
そりゃそうだ。
最後には村長からお土産をもらって、山を下りることになった。
「あの村長、オレなんかよりよっぽど日本人だったよ。何か、竜宮城に行ってき
た感じだ」
だろうな。
日本にない蛇を探しに行ったら、「日本人以上の日本人」に会ったんだから。
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