【台湾の森永村】カカオで結ばれた日本との甘いキズナ 

 

日清戦争のあとから終戦まで(1895年~1945年)まで、日本が統治していた台湾にはいまでもそのときの影響が残されている。
たとえば台湾語には日本語由来の言葉が山盛りあって、ノリ、みそ、父さん、おばさんといった単語はほぼ発音でそのまま使われているのだ。

とはいえこの日本語にはビックリ。

【50年の日本統治】いまでも台湾人が使う「頭コンクリ」

 

さて、台湾(おもに台南)の観光情報を紹介している「Hsu Hsu」さんが最近、こんなメッセージと写真をSNSに投稿してるのを発見。

「台湾、台東県、森永トンネル。
森永製菓とは関係ないはず。」

 

 

ネタバレすると、この森永隧道(トンネル)は森永製菓と関係あるどころか、森永製菓がまんま由来になっている。
森永というと、マリーやムーンライトなどのビスケットもいいのだけど、おっとっとやポテロングなんかのスナックも捨てがたいのだけど、やっぱりチョコレートが有名。

 

 

昭和の初めごろ、「これから日本ではチョコレート菓子が売れる!」と確信した森永製菓の創業者、森永太一郎は国内でカカオ栽培に適した場所を探す旅にでる。

そして1927年(昭和2年)、当時は日本の一部だった台湾へ渡って各地を見て回り、ここでカカオ栽培をしようと決めて、その事業を受け継いだ常務取締役の大串松次氏が台湾の南東部に広大な農地を手に入れる。
1939年に「森永台湾殖産会社」が設立され、台湾でのカカオ栽培がはじまった。

 

赤いところの中に「森永台湾殖産会社」があった

 

その後、いろいんな苦労の末にカカオはその地に根づいたけど、太平洋戦争がはじまってしまい事業はストップ。台湾でのカカオ栽培という森永のチャレンジも終わった。
が、その夢はいまも継続中だ。

こんないきさつがあって「森永台湾殖産会社」のあったところは「森永村」と命名され、いまでは台湾の人たちによってカカオの木が育てられている。
さらに、その台湾産カカオでチョコレートを作るブランドも登場した。

日本統治というと、どうしても韓国が思い浮かんでしまう。
同じ経験をしていても現在の見方は正反対で、たとえば台湾で湖をつくった日本人は感謝される一方、韓国では「強制労働」をさせたと嫌われているのが現状。
森永の事業があったことから「森永村」と名付けて、さらにそれに由来する森永隧道(トンネル)まであるのだから、ここにいる台湾の人たちは、このとき日本人と一緒にカカオ栽培に挑戦したことを好意的にみているのだろう。

森永がまいて台湾人が育てたカカオは、「福灣巧克力」というブランドがチョコレート製品にしている。
台湾旅行に行ったらぜひお試しを。

 

おまけ

これは先ほどの「Hsu Hsu」さんの投稿。

「昭和天皇陛下が皇太子時代に台湾台南州で手植えして下さったガジュマルの木は破壊されないように国立成功大学が柵を設置しました。」

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。