日本人が海外へ行って、「初めてなのに懐かしい」と感じるところといえば台湾だ。
1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間、日本は台湾を統治していたから、いまでも台湾社会のいろんなところでその影響をみることができる。
例えば昭和に生まれ育った日本人がこんな食堂を見たら、タイムスリップした気持ちになることはもはや避けられまい。
画像は台湾(おもに台南)の観光情報を紹介している「Hsu Hsu」さんから。
日本は統治のはじめから教育制度の導入に熱心で、初代学務部長の伊沢修二の提言を受けた台湾総督府は、内地(日本)よりも先に義務教育を採用して、台北市に近代教育を行う小学校を設立。
それを皮切りに、台湾全土へ教育の機会を広げていった。
総督府は教育政策を推進し、翌年台湾全域に国語伝習所を設置するなどの教育機関の拡充に努めた。1898年(明治31年)、国語伝習所は公学校に昇格している。
いまは少なくなったけど、この時代に教育を受けた台湾人には日本語を話す人が当たり前のようにいた。
以前、知人の日本人が台湾の山の中を進んでいたとき、たまたま原住民の住む村に着いてしまい、どうしたものかと困っていたら、村長が出てきて完璧な日本語で話しかけられた。
さらに村長の家に招かれてお茶とお菓子をご馳走になったという、竜宮城に行ったかのような話についてはこの記事を見てほしい。
2年前、20代の台湾人女性3人が日本にやって来て、彼女らと話しているときに、日本語由来の台湾語についてきくと、ベントー(弁当)やスシやミソの他に、いまの日本からは消えた「運ちゃん」(ドライバー)も台湾では使われているという。
ただし「運ちゃん」は古い言葉で、若者からするとちょっとダサい。
なるほどなるほど。
と思ってその台湾ガールズの話を聞いていると、1人が「アタマコンクリもありますよ」と言う。
ああ、アタマコンクリね。いまでも日本でよく聞く…、か?
いやいやいや、そんな単語は知らねー。と思って意味をたずねると、頭の固い人間や融通が利かない人を台湾語で「頭コンクリ」と言うらしい。
頭がコンクリートのようにカチカチに固いという意味で、いまの日本語でいうなら「石頭」のハードバージョンだ。
ネットをみると、ボクは聞いたことないけど、日本でも昭和の時代まではこの言葉があったようだ。
この「アタマコンクリ」には「阿達馬孔固力」という漢字の当て字があるという。
発音は「アタマコンクリ」でOK。
でも、台湾で「頭コンクリ」を使うのはおじさん世代で、若い人たちはあまり言わないというから、似た者どうしが使っているだろう。
日本人のボクには一周まわって新鮮で、好感の持てる台湾語だ。
「頭コンクリ」を使う気はないけど、やっぱり台湾は初めてなのにどこか懐かしい。
この動画に今回でてきた「運ちゃん」や「頭コンクリ」が紹介されている。
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私も昭和生まれのおじさん(既にほとんどおじいさん)です。その私も「運ちゃん」は知っていますが、「頭コンクリ」ですか??? 聞いたことないなぁ・・・。
もしかして、地域性とかあったのかな?
私も「頭コンクリ」は初耳でしたが、ネットを見ると日本でも使っていたという話が載っていました。
すごい言葉が台湾に残ってますね。