【明治・大正の日本の正義感】 マリアルス号事件と人種差別撤廃

 

はじめの一言

「私、この小泉八雲、日本人より本当の日本を愛するのです
(小泉八雲=ラフカディオ・ハーン 明治時代)」

「日本賛辞の33撰 ごま書房」

 

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今回の内容

・マリア・ルス号事件とは
・世界にしめした日本の正義感と気骨
・「人種差別撤廃条約」を世界で初めてとなえた日本

 

・マリア・ルス号事件とは

「マリア・ルス号事件」を知ってますか?

歴史作家の司馬遼太郎はこの事件を「明治維新の気分というものであります」(「明治」という国家)と表現した。

「明治維新の気分」であるマリア・ルス号事件とは簡単に言うとこんな出来事を指す。

明治5年(1872年)に日本の横浜港に停泊中のマリア・ルス号(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして日本政府が解放した事件。日本が国際裁判の当事者となった初めての事例である。

マリア・ルス号事件

 

1872年に中国(マカオ)を出航したペルー船籍のマリア・ルス号が航海の途中、船が破損したため横浜港に立ち寄る。
この船には「苦力(クーリー)」といわれる231名の中国人が乗っていた。
苦力とはもとは中国やインドの労働者のことで、19世紀後半、黒人奴隷に代わる労働力として売買の対象とされていた。

奴隷同前のあつかいを受けていた苦力が、横浜港に停泊していたマリア・ルス号から逃げ出したことから事件がおこる。

 

まずイギリスの軍艦がその苦力を救出する。
その後、イギリスはマリア・ルス号を「奴隷運搬船」とみなし、イギリス在日公使は日本政府に対し中国人救助を要請する。

でも、日本政府は困った。

ペルー共和国の船の「積み荷」である苦力を勝手に解放したら、ペルーとの間で国際問題をかかえてしまうことになる。
でも、当時の外務卿(後の外務大臣)であった副島種臣(そえじまたねおみ)はこう考えていたのだ。

副島外務卿は、むろん、奴隷船に怒りを覚えています。
しかも、その奴隷が、副島にとって親近感を感じさせるひとびとー中国人ーなのです。
福島は、中国が好きでした。

「「明治」という国家 ( NHKブックス) 司馬遼太郎」

 

こういう日本人がいたことを、現在の中国人も知ってほしいと思う。

そのためには、まず日本人がマリア・ルス号事件を知ることが大切だ。

 

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中国の列車で会った中国の少女

 

・世界にしめした日本の正義感と気骨

日本はペルーと国際問題をかかえることを覚悟に、奴隷状態にあった中国人苦力を助けることを決めた。
政府内にはペルーとの国際紛争を考えて及び腰の人もいたけど、副島は人道主義と日本の主権独立を断固主張し、清国人救出をゆずらない。

結果、横浜港に停泊していたマリア・ルス号から、清国人全員を下船させることに成功する。

 

でも当然のことながら、日本に対する反応は清とペルーとでは正反対。

自国民を解放してくれたことに清国政府は日本に感謝し、友情的行動への謝意を表明した。
激怒したペルー政府は、謝罪と損害賠償を日本政府に要求する。

この事件によって開かれた国際仲裁裁判では、国際社会は日本の対応が正しいものであったと認めた。

 

このマリア・ルス号事件について、当時の日本人が考えていたのか?
それはこれを読むとわかる。

五年六月の奴隷船マリア・ルーズ号事件によって、日本は正義感と気骨を世界に示したりした。

(うたでつづる明治の時代世相 図書刊行会)

 

この「正義感と気骨を世界に示した」という明治の日本人の気持ちが、先ほどの司馬遼太郎のいう「明治維新の気分というものであります」に重なる。

 

・「人種差別撤廃条約」を世界で初めてとなえた日本

第一次世界大戦のあと、日本は国際連盟の常任理事国になる。

白人を中心としていた当時の国際社会のなかで、日本は「人種差別撤廃条約」を各国に提案した。

フランス人は「フランス革命で自由・平等を勝ち取った」と言います。
私が、「日本だって第一次世界大戦の後に、人種差別撤廃条約の提案をしたのよ」と言うと、若い学生たちは皆一様に驚きます。

(意外に日本人だけ知らない日本史 デュランれい子)

でも日本のこの提案は否決されてしまう。

でも、このときの日本の人権感覚は、現代の人権感覚に近い。
人権意識においては、日本はこのとき世界の先をいっていた。

 

国際社会の舞台で、世界で初めて人種差別撤廃条約をとなえたのは日本。

ヨーロッパ人やアメリカ人にこのことを話すと驚くという。
人種問題にあまり関心がない日本人よりも、欧米人のほうがこの提案の意義や重要性がわかるのかもしれない。

この日本の勇気ある提案も、司馬遼太郎のいう「明治維新の気分」であり、明治日本人の「正義感と気骨を世界に示した」という気持ちに通じるものがある。

 

では今回の復習

・1872年に、ペルーの船にのっていた「苦力(クーリー)」を日本政府が解放したできごとをなんという?
・そのときの日本の外務卿(後の外務大臣)はだれ?
・国際連盟の常任理事国だった日本が世界で初めて主張したことはなに?

 

答え

・マリア・ルス号事件
・副島種臣(そえじまたねおみ)
・人種差別撤廃条約

 

 

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4 件のコメント

  • ポリティカル・コレクトネスの厳しいいまですから、これしかここでは表示できません。
    でも、あの国にはこまってしまうのはよくわかります。

  • ファッ!?「マリアルス号事件で正義感と気骨を示した」って、どういう類いのジョークなんだかwww
    ペルー側のイギリス人弁護士に「お前んトコの娼妓こそ奴隷制度やんけw」と反論されて言い返せず、こっそり「芸娼妓解放令(布告時に「娼妓芸妓ハ人身ノ権利ヲ失フ者ニテ牛馬ニ異ナラス」としたため「牛馬切りほどき令」とも)」出しワケですから、正確には「マリアルス号事件で示したのは日本人らしい棚上げ精神」のほうでは?

  • 当時の日本が奴隷状態にあった清国人を解放したことは、国際仲裁裁判によって正しい判断と認められました。
    清国政府は日本に感謝したのも当然でしょう。
    ペルーとの対立を恐れず、国際法にもとづいてき然とした態度を示した明治日本は立派でした。
    「芸娼妓解放令」は論点ずらしなので応じません。
    ただ、「娼妓芸妓は人身の権利がなく牛馬と同じで、牛馬に借金返済は迫れない」と女性が借金苦から解放されたことが重要なのに、その部分をカットして文意をねじまげる行為は感心しません。

    「芸娼妓解放令」

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。