はじめの一言
マレーシアの第4代首相マハティール氏はこう話した。
「それまでは、ヨーロッパは無敵であり、反抗不可能なものと認識されていた。彼らは途方もなく強く、優秀で、賢かった。われわれは、空に太陽と月と星が存在するかぎりは、イギリス人はマレーシアを支配し続けるだろうと考えていた。
しかし、そのイギリス人が粗悪品の代表と思われていた日本に負けたのである。この事実はわれわれの認識を百八十度変えた。ヨーロッパも、負けるのである。」
ソース:「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
マハティール氏が欧米ではなくて日本の経済成長を参考にして、ルックイースト政策を始めたのもこんな体験があったからかも。
マハティール・ビン・モハマド(ウィキペディア)
*前回の続き
こうした危機感がアジア全土を覆い尽くそうとしていたとき、世界中の人を驚かすような出来事が立て続けに二回起きた。
一つ目は、日露戦争中の、日本海海戦での日本の勝利だ。このとき、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)が率いる日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に、これ以上のない勝利を収めてる。
ウィルソンというイギリスの海軍研究家は、こう書いている。
なんと偉大な勝利であろう。自分は陸戦においても海戦においても歴史上このような完全な勝利というものをみたことがない
(坂の上の雲 司馬遼太郎)
それに続く二つ目の出来事は、日露戦争で日本がロシアに勝利したこと。
1905年、「日本がロシアに勝利した」という知らせが世界に伝わる。
日露戦争の日本の勝利を、インドネシアの高校の歴史教科書「インドネシアの歴史(明石書店)」では、こう記述している。
日本のロシアに対する勝利は、アジア民族に政治的自覚をもたらすとともに、アジア諸民族を西洋帝国主義に抵抗すべく立ち上がらせ、各地で独立を取り戻すための民族運動が起きた
さらに、こう続けている。
インド、フィリピンでは、日本の近代化のあと民族運動がいっそう活発になった。太陽の国が、いまだ闇の中にいたアジアに明るい光を与えたのであ
前の記事で書いたけど、それまでは中国の太平天国の乱やインド大反乱など、アジアの二つの大国が西洋への抵抗をこころみていた。
でも、ことごとく失敗している。
これにより、アジアには重い暗雲が垂れ込めていた。
アジアの各地の人びとに大きな危機感をいだかせた(世界史用語集)
そうした中だったからこそ、「同じアジア人の勝利」が「アジアに明るい光を与えた」となった。
これが、一人の政治家や歴史家の発言ならば、ただの「個人的見解」に過ぎない。
でも、インドネシアの歴史教科書の記述であれば、「国としての認識」とみていい。
言うまでもなく、戦争では多くの人命が奪われてしまう。
日露戦争が起きたとき、「エセル・ハワード」というイギリス人が日本にいて記録を残している。
「かわいそうな兵隊たち」を目にしたという彼女の記録から、日露戦争の様子が見えてくる。
以下は、エセル・ハワードが日露戦争で負傷した兵隊がいる赤十字病院を訪れたときのもの。
ある赤十字病院への訪問で非常に印象的だったのは、花に対する愛情が万国共通であるということだった。戦争中に満州から送還された兵隊の多くはひどい凍傷に罹(かか)っていた。これらのかわいそうな人たちを収容した病棟に、ある婦人が花束を持って出かけた。兵隊たちがその花をどんなに喜んだか、けっして忘れられないと彼女は言った。
彼らの大部分は指がなく、その中の何人かは手の代わりに義手をつけていたが、自分たちの苦痛のことは何も考えていないように見えた。
彼らがひたすら考えたのは、この婦人客が彼の指のない手でも持てるように、小さな花をしっかりうまく持たせてくれるかどうかだけだった。
全員に花を配り終えて病棟の中を見回すと、どの患者の顔も喜びに輝き、まるで話しかけるかのように花を見つめていた。
(明治日本記録 講談社現代文庫)
日露戦争では、負傷者だけではなく多くの死者を出した。
確かに日本の勝利は、「アジアの光」となったかもしれないが、そのためには、多くの光も失われることにもなった。
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歳入が2~3億の時代に、英米から13億も金を貸し付けて貰い、当初ヨーロッパに展開されてたのに、日英同盟のせいで英領の植民地の寄港やスエズ運河の通過をさせて貰えず、ろくに補給も出来ずに地球を半周させられ、士気も連度も最悪で既に真っ白な灰状態かつ、新旧入り混じった戦艦で構成されていたが、日本軍曰く「せかいさいきょーのばるちっくかんたい」を、欧米から購入したピカピカの最新鋭の戦艦で構成された連合艦隊で撃破できても、旅順要塞の攻略や陸戦で手間取り泥沼化した戦争に堪え切れず、アメリカに泣き付いて講和の仲介をして貰い、またロシア革命に乗じた講和であるため、「負けたワケじゃないから賠償金はびた一文払わん!!」というロシア側の条件を丸飲みにして終わらせて貰った日露戦争で分かったことと言えば、「白人の金・白人の兵器・白人の支援があれば、白人でなくとも白人相手に実質的勝利くらいなら出来る」ということだけだが、これは日露戦争から10年程前、アフリカのエチオピア帝国がフランスの支援でイタリア王国に名実共に勝ってみせたエチオピア戦争の時に既に分かってましたよ。
所詮上二つの戦争なんてのは、白人が築いた近代文明の土台あっての勝利でしかなく、戦争自体は負けたとはいえ最新鋭の銃や大砲で武装した大英軍6個中隊を牛革の盾と槍で殲滅してしまうなど、真の意味で白人とその文明を蹂躙してみせたズールー戦争より、有色人種のアジア人に希望を与えることが出来るとは思えんが。
根拠がないので内容の正確性もそのレベルになっています。
進軍ルートを間違ったのは明らかなロシアのミス。
「ピカピカの」「泣き付いて」といった主観的であいまいな表現が多すぎるので個人の感想文になっています。
「士気も連度も最悪で既に真っ白な灰状態」というのは具体的にサッパリ分かり昌園。
ロシアを出た時に比べて戦力がどのぐらい低下したか、根拠を添えて数値で示す必要があるでしょうね。
白人コンプレックスの日本人はめずらしくないのでそれはいいとして、アジア人の見方はわたしは彼らの歴史教科書の内容を信じます。