米の人種問題②市場で売られる黒人奴隷/いまは特別待遇

 

アメリカの黒人ラッパー、カニエ・ウェスト氏が「奴隷はチョイス(選択)だ」と言って、大問題になった。
という前回の続きですよ。

 

アメリカで黒人奴隷がいたころ、彼らはどのような状態にあったのか?

でも、それを書く前に、「そもそも黒人奴隷とは、どんな人たちだったのか?」ということを確認しておこう。

16~19世紀にアフリカから、黒人がアメリカ・ブラジル・カリブ海の国などに運ばれ、労働力として使われていた。
黒人奴隷とはそうした黒人やその子孫のこと。
奴隷の子どもも奴隷になる。

もともとそうした国には「インディオ」と呼ばれる先住民がいたのだけど、強制労働や伝染病などで次つぎに死んでいってしまう。
ヨーロッパ人は、そのことをとても悲しみ反省した。
わけがない。
インディオの「穴埋め」として、別の労働者が必要となる。

そういうわけで、黒人がアフリカ大陸から運ばれてくることになった。
その数は1000万~2000万人といわれている。
奴隷制度が廃止されていった19世紀になってから。

 

黒人をアフリカからアメリカ大陸に運ぶ間、病気などで死んでしまう人が出た場合、死体は海に捨てられていた。

アメリカに着いた奴隷は、”状態”がいいうちに売られていく。
「マンディンゴ」という映画に、奴隷オークション(競売)のシーンがある。

奴隷たちは牛や馬とまったく同様に、歯を調べられ、血統書を付けられ、親子別々に売られてゆく。ただし、この映画では売られる奴隷たちが互いに肩を寄せあって涙を流すシーンが印象的に描かれてはいるものの、実際には、「監獄(jail)」と呼ばれた別室で家族別々に監禁された奴隷は、競売の障害になるという理由で泣くことまで禁止じられ、涙を流さぬように躾けられることさえあった。

「近代世界と奴隷制 8 人文書院)」

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セネガルの負の世界遺産「ゴレ島」
ここに黒人が集めらたあと、船に乗せられていった。

 

アメリカに奴隷制度があった時代、黒人は牛や馬と同じように、市場にならべられて売られていた。
そのことに関連して、黒人のアメリカ人から「ピクニック」の語源を聞いたことがある。

英語のPicnicは「Pick a nigger」から生まれた言葉だという。
「nigger(ニガー)」は黒人の差別用語だから、アメリカのテレビ・雑誌でこれを使ってはいけない。
辞書を見ると「黒んぼ」という日本語訳がある。
普通の会話では、絶対に使ってはいけない。

 

そのアメリカ人の話では、白人が黒人奴隷を買うときは、いろいろな奴隷をじっくり選ぶから、一日がかりになることが多かった。
それで良さそうな黒人をチェックしておいて、持参したランチボックスで昼ごはんを食べながら、どの黒人を買うか家族で話し合っていた。

「Pick a nigger(黒人を選び取る)」ということから、「Picnic」が生まれたという。

 

ええっ!ピクニックって、そんな意味だったの!
そんなん聞いたら、これからピクニックできなくなるじゃん!
森永のピクニックなんて、絶対改名しないとダメじゃん!

と思ったのだけど、結論からいうと、これはアメリカ人のまちがい。
ピクニックという言葉はフランス語を語源としている。
黒人奴隷かんけいない。

 

でも、まだそのことを知らなかったときに、白人のアメリカ人にこの話をしたことある。

「ええ!ホントに?ピクニックにそんな意味があったなんて、知らなかったよ。でも、その時代の白人ならやるかもね。黒人奴隷を買うのを、娯楽として楽しんでいたと思うよ」

マジかよ。
これはこれで衝撃的だな。

 

 

はなしを現代のアメリカに戻す。

ウェスト氏の「奴隷をチョイスした」という言葉に批判が殺到したように、いまのアメリカでは、奴隷制度にもとづく人種問題に対してとても敏感で厳しい。

奴隷制度は19世紀に廃止されたけど、その”反省”はいまも続いている。

 

2016年には、こんなことがあった。

アメリカの名門大学ジョージタウン大学が、過去に人身売買をしてお金を得ていたことを認めて謝罪した。
19世紀に、大学が財政難になったとき、運営母体だったカトリックのイエズス会が所有していた黒人奴隷を売り払って、大学のピンチをしのいだことがあった。

これを認めて謝罪したジョージタウン大学は、こんな特別待遇を行なうことを発表する。
ロイター通信の記事(2016年9月2日)から。

当時の奴隷272人の子孫に当たる学生に対して、入学しやすくする優遇措置を取ると発表。奴隷制の歴史を学ぶ機関も創設する。

さらに、1838年の奴隷売却を監督した学長の名前がつけられた2つの建物の名前を変更する。

米名門大が奴隷子孫の入学優遇へ、過去の人身売買認め謝罪 

 

19世紀の奴隷の子孫に対して、21世紀に特例をもうけるとか、日本の大学じゃ考えられない。

そもそも、日本に奴隷制度なんてなかった。
古代、奴婢と呼ばれる人たちがいて、人身売買の対象にはされていた。
戦国時代には、他国を滅ぼしたあと、その国の人間を捕まえて売っていたこともある。

でもアメリカのように、黒人奴隷の市場があって、日常的に売り買いされていた歴史は日本にはない。
と思っているから、あったら教えてください。

 

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セネガルの結婚式

 

さて、こんな奴隷制度を知って、どう思っただろう。

「そんな残酷なこと、絶対にダメだ!許せん!」と感じなかっただろうか?

豊臣秀吉はそう思った。

秀吉が日本を治めていたころ、ヨーロッパ人宣教師が日本人を奴隷にして、海外に売り飛ばしていた。
日本人を動物のように扱っている!
秀吉がこれに激怒。

秀吉乃至はその側近に、キリシタンに対する嫌悪を感じさせた最大のものは、ポルトガル人が日本人を奴隷としてインドその他に売っていたことであろう。

「日本人とは何か。 山本 七平 (PHP文庫)」

 

これが大きな原因となって、1587年に秀吉は「バテレン追放令」を出す。
やっぱり、日本人の価値観に奴隷制度は合わない。
*このことは別の記事で書きます。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。