外国人が愛する日本のお菓子/戦国時代の「スイーツ革命」

 

3月12日は「スイーツの日」だった。

ちょうどそのころ、どこぞの外国人がこんなメッセージを投稿していた。

Eye candy food for the day.
Special Melon Pan(Melon shaped bread with different ingredients)😋😆
The theme of the shop ‘Ashita kara diet’ (You can go on a diet from Tomorrow)

この人は「ダイエットは明日から」という店(ホントか?)で、見たけで幸せな気分になる特別なメロンパンを見つけたらしい。
日本のお菓子やケーキはデザインがしゃれているから目の保養になる。

ちなみにこの「eye candy」ということばには、素晴らしいのは外見だけで中身は大したことない、といったネガティブな意味で使われることもある。
が日本のお菓子はそうじゃなくて、期待を裏切らないおいしさがつまっている。
まわりにそう言う外国人がよくいるのだ。

 

日本の大学に通っているベトナム人は日本のショートケーキを食べて、生クリームとスポンジのクオリティーの高さに衝撃をうけた。
それまでベトナムで食べていたものとは完全に別もので、『ケーキ』の概念や定義を変更しないといけなかったほど。
でもその対価は大きくて、主に日本のコンビニスイーツにお腹を支配されて3キロは太ったらしい。
「3月12日はスイーツの日ですよ~」とSNSで伝えたところ、ある韓国人が「日本のお菓子とケーキは世界一番かも。。」とメッセージをくれた。

日本人でも納豆が大っ嫌いな人はいるし、舌に国籍はなくて個性しかないから大ざっぱにしか言えないけど、日本のスイーツを絶賛したりこよなく愛する外国人は多い。

 

 

むかしの日本人は、中国から伝わった饅頭や羊羹(ようかん)などのお菓子を食していた。
そんな日本のスイーツ作りに革命が起きたのは16世紀、ヨーロッパ人がキリスト教や銃と一緒に、西洋のお菓子を伝えたときだ。
ポルトガル人やスペイン人がカラメル、金平糖、飴、ビスケットそしてカステラを日本にもたらす。
こうした個々の南蛮菓子よりも日本人にとっては、砂糖や卵を使ったお菓子の作り方を知ったことが大きかった。
日本のスイーツ史においてこれは、その前後でお菓子作りの概念を一変させるほど画期的な出来事。
砂糖や卵のないスイーツを考えたら、その影響の大きさがみえてくるはず。

もちろんそれまでの日本にも砂糖はないことはない、という程度にはあった。
でも量が本当に少なくて、お菓子作りで使われることはほとんどなかったのだ。
それをヨーロッパ人が一変させた。

 

それまでこういうスポンジケーキはなかった。

 

南蛮菓子のひとつ、金平糖

 

西洋から新しいレシピを知った日本人は、その後の江戸時代にもお菓子作りを極めていき、西洋のものとは違う和菓子としてのカステラなどを生み出した。
そしていまでは日本独自のショートケーキを爆誕させ、「Eye candy food for the day」、「日本のお菓子とケーキは世界一番かも。」と現代の外国人をうならせている。
これも戦国時代の「スイーツ革命」があったからこそのこと。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。