ワルシャワ・ゲットー蜂起 ユダヤ人が戦いを決断した理由

 

もしも、日本が圧倒的な軍事力を持つ外国勢力に支配されたとする。
そして、その国の人々が、日本人には汚れた血が流れているから、地上から抹殺すべきと考えたとしたら?

第二次世界大戦中、ユダヤ人はまさにそんな状況におかれていた。
ナチス=ドイツはユダヤ人を劣等な民族とみなし、自分たちにとって有害な存在だと考え、人種差別的な動機から彼らを絶滅させる計画を立て、強制収容所で実行した。
結果、600万人のユダヤ人が殺された。

きょう1月18日は、そんな絶望の中で、小さな輝きがあった日。
1943年のこの日、ナチスの支配下にあったポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人が初めて武器を持ってナチスと戦い、撃退することに成功した。
しかし、それは終わりの始まりだった。

 

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに攻撃を開始したことで、第二次世界大戦がはじまった。
ポーランド軍は敗れ、国はナチスに支配下される。
ユダヤ人はワルシャワのゲットー(隔離地域)に収容され、ナチスはそこからユダヤ人を次々と収容所に送り込み、毒ガスなどで殺害した。
ユダヤ人たちはもはやナチスの「死刑判決」を受けたも同然で、ゲットーという巨大な刑務所にいて、処刑場へ運ばれるの待つだけとなる。

殺される運命は不可避と分かり、彼らはナチスと戦うことを決めた。
そのためには武器を用意しないといけない。
この時、ポーランド人のレジスタンス組織があった。
彼らとユダヤ人は、「打倒ナチス」という目的では一致していたが、 ポーランド人側にも差別意識があったため、ユダヤ人は多くの武器を手に入れることができなかった。

 

それでも1943年の1月18日、拳銃や火炎ビンなどのわずかな武器を持って攻撃をしかけ、ドイツ軍にダメージを与えて、強制移送を中断させることに成功した。
そして、4月18日に本格的な武装蜂起を起こし、ドイツ軍をゲットーから追い出すことができた。
この日の勝利をユダヤ人のある指導者は「最高の喜び」と思い、仲間と一緒に小躍りしたという。
しかし、そこまでだ。

 

 

ワルシャワ蜂起時のユダヤ人

 

 

もともとドイツ軍は世界最強レベルの攻撃力を持っていたから、本気になったら、貧弱な装備のユダヤ人レジスタンスに勝ち目はない。
この後にはじまったのは戦闘ではなく、虐殺だ。

ドイツ軍は火炎放射器や火炎ビンを使い、ブロックごとに家々を焼き払い、地下室や下水道を爆破する。
徹底的にユダヤ人を殺しにかかった。

his forces resorted to systematically burning houses block by block using flamethrowers and fire bottles, and blowing up basements and sewers.

Warsaw Ghetto Uprising

 

この火炎地獄を生き延びたユダヤ人は、炎の海が家や庭に押し寄せ、空気は無くなり、ただ黒く息苦しい煙と、激しい熱だけがあったと語る。
ドイツ側の資料によると、56,065人のユダヤ人が死亡するか捕虜となり、そのうち約36,000人が絶滅収容所に送られた。
ドイツ軍の死者は17名で、負傷者は93人だけ。
もっとも、これはドイツ人の記録だから、実際にはドイツ軍の被害はもっと大きかったと思われる。
しかし、ユダヤ人が一方的に殺害されたことは間違いない。

 

以下、焼き尽くされるワルシャワ・ゲットー

 

 

 

ナチスに追いつめられ、投身自殺をはかる男性

 

このワルシャワ・ゲットー蜂起は、第二次世界大戦中に起きたユダヤ人による最大の抵抗行動だった。
彼らのほとんどは、生き残るためではなく(それはほぼ不可能)、ユダヤ人の名誉のために戦ったという。
指揮官として戦った人物は、ドイツ軍と戦うことを決めた理由について、「ドイツ軍に、われわれが死ぬ時間と場所を選ばせないため」と語った。

ワルシャワ・ゲットーにいたとしても、いずれはナチスによって収容所へ送られて殺される。
当時のユダヤ人にできたことは、死ぬタイミングを自分で決めることだけで、この決定権だけはナチスに奪われたくなかった。
アメリカにあるホロコースト記念館では、この戦いを「ユダヤ民族の歴史において最も重要な出来事の一つ」と位置づけている。

 

殺害された女性

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。