インドがイギリスから独立できた理由は?英語という共通語


 

たとえば、学校の学園祭でフランクフルト屋をだすことになったとする。

1人ではできないことをするためには、たくさんの人たちの協力が必要になる。
グループのメンバー全員が一致団結して、出店のために活動しないといけない。

では、みんなが協力して活動するためには、なにが必要になるか?

絶対に必要な条件は、そのグループのメンバーで「言葉が通じる」ということ。
1人1人の話す言葉がちがっていたら、「みんなで協力」なんてできるわけがない。

グループのメンバーが日本人とアラブ人とスペイン人と中国人で、それぞれが母国語しか話せなかったらどうなるか?

だれが何をどれだけ買うか?
だれがどんな書類を学校にだすか?

メンバーのあいだに共通語がなくて会話をすることができなかったら、決めようがない。
結局、フランクフルト屋の出店なんてあきらめるしかなくなる。

 

 

前に、「バベルの塔」の話を書いた。

聞いたことありますか?
バベルの塔って。

聖書(キリスト教では旧約聖書)にある話。

むかしむかし、人間は天まで届くような巨大な塔を建てていた。

そんな人間たちを見て、神が怒る。
「人間のくせに、神がいる天まで来るつもりなのか?生意気な」
と思ったのだろう。

怒った神は、人間たちが塔をつくらせないことにした。

どうやったか?

神は人々の言葉を乱してしまう。
言葉を混乱させられた結果、人間たちはお互いにコミュニケーションをとることができなくなる。
会話ができなくなってしまい、人間たちはバベルの塔の建設をあきらめたという。

そしてこのときから、世界の人間たちはいろいろな種類の言葉を話すようになった。
そんな話もある。

 

この聖書の話から、「バベルの塔」はこんな意味の言葉にもなった。

自己の限界をも省みない、実現不可能なくわだて。

大辞林 第三版の解説

 

世界史を学んだ人は、「ジッグラト」という塔を習ったと思う。
このジッグラトが、バベルの塔だったともいわれている。

旧約聖書の『創世記』に記されているバベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものと考えられる。

(ウィキペディア)

ジッグラトとは、「高いところ」という意味。

 

ジッグラト(ウィキペディア)

 

先ほどの話で、もし神によって言葉を乱されることがなかったら、人間たちはバベルの塔を完成させることができただろう。

そんなことを考えたときに、思いついたことがある。

インドがイギリスからの独立することができた理由も、そのことに重なるんじゃないか?

 

むかし、インドはイギリスの支配下にあった。
それでもインドの人たちは協力してイギリスと戦い、1947年8月15日にインドを解放させることができた。
「インド独立の父」とよばれるガンディーのことは、中学校で習ったと思う。

インドが独立に成功した理由はなにか?

たくさんある。
その理由のひとつに、「英語がインド人の共通語となって、人々を結びつけた」というものがある。

 

インドの「名物」野良牛さん

 

「英語という共通語が、インド人たちを結びつけて互いに協力することが可能になった」

このことが、バベルの塔の話につながると思う。

古代の人間は、天までとどくような巨大な塔を建てようとした。
これは、「インド人が、イギリスという大国からインドを独立させようとした」というところに重なる。
とても大きなことに挑戦したということ。

 

バベルの塔の場合、神によって言葉を乱されたため、人々は会話をすることができなくなってしまう。
そして、塔の建設をあきらめた。

インド独立の場合は、英語によって人々が話をできるようになったから、イギリスから独立することができた。

つまり、イギリスという神のような支配者に対して、共通語(英語)という武器をもって戦った。

そんな見方ができると思う。

 

インドは大きい。

この地図を見ると、インドは東西ヨーロッパと同じぐらいの大きさだとわかる。

 

広大なインドでは、地方によって話す言葉がちがっている。

インド旅行をしていたときのこと。
ムンバイという都市で、あるインド人のシェフと出あう。
デリーからムンバイに来た彼は、こんなことをなげいていた。

「ムンバイに来て大変だったのは、まわりの人が何を話しているのかわからなかったことなんだ。カレーのつくり方はデリーと同じだから、問題ない。でも、ムンバイの言葉が理解できなかったことにはまいったよ」

日本では、どこに行っても日本語が通じる。
だからこんな悩みはありえない。

 

インドの100ルピー札
左側に、15の文字で「100ルピー」と書いてあるらしい。
国内にいろいろな言葉があるインドでは、最低限このぐらいの文字で書く必要があるという。

 

インドの憲法では、ヒンドィー語を連邦公用語にしている。
でも、ヒンドィー語が話せないインド人はたくさんいる。

とくに南インドには、ヒンドィー語が話せない人が多くいる。

友人で、南インド出身のインド人がいる。
彼は学校でヒンドィー語の授業がなかったから、簡単な言葉しかわからないと話していた。

 

イギリスがインドを支配していたとき、出身地が違うインド人が互いに話をすることは、今よりもずっとむずかしかったはず。

それを簡単にしたのが、イギリス人が伝えた英語。

英語が言葉のちがうインド人の共通語になった。

 

 

イギリスは、インドを効率よく支配するために英語を広めていた。

東インド会社によるインド植民地支配の段階から、道路など基盤の整備とともに、警察制度の整備と英語教育に力を入れた。

特に教育は1835年より英語で行うこととし、官庁の文書もそれまでのペルシア語と各地方語の使用を停止し、すべて英語で作成することを命じた。

役人になるためには英語が使えなければならないので、英語は急速に普及した。それまでインドには統一言語の発達が遅れていたことも、英語の普及の理由であった。

イギリスのインド植民地支配/インドの民族運動(19世紀後半)

 

イギリス人が広めた英語は、だんだんとインドに広がっていく。

やがては共通語になり、出身地による言葉のちがいがあっても、いろいろなインド人が英語でコミュニケーションをすることができるようになった。

この時代のインドで英語がはたした役割について、インド人の歴史家はこう書いている。

近代教育は、それの洗礼を受けたインド人のあいだに、展望と関心を共有するコミュニティをつくりだした。

英語はこの点で重要な役割をはたした。英語は近代思想を運ぶ媒体となり、そして母語を異にする教育を受けたインド人相互の、コミュニケーションと意見の交換のための手段となった。

「近代インドの歴史 ビパン チャンドラ (山川出版社)」

 

この共通語としての英語が、イギリスからインドを独立させるための強力な武器になる。

 

 

でも、英語が共通語となったのは、高等教育をうけたインド人のなかだけ。

たしかに、教育をうけたインド人は英語でコミュニケーションをすることで、互いにつながることができた。

でも、教育をうけていない庶民は英語を話すことができない。

英語が普及することによって、エリートのインド人と非エリートのインド人が分断することにもなった。

しかしまもなく英語は、近代的な知識が一般民衆にあいだに普及するのに障害となった。英語は教育を受けた都市部の人々を一般大衆、とりわけ農村地域の人々からへだてる壁としても機能した。

「近代インドの歴史 ビパン チャンドラ (山川出版社

 

 

こんなマイナスの要素もあったけれど、英語は共通語としてインド人を結びつける重要な役割をはたしていた。

インドがイギリスから独立することができた理由には、そんな事情がある。

 

古代の人間は言葉を乱されたことによって、天まで届く塔をつくることはできなかった。
けれど、英語という共通語を手にしたインド人は、イギリスをインドから追い出すことに成功した。

もし、インド人が英語(共通語)をもたずにイギリスと戦っていたら?

「自己の限界をも省みない、実現不可能なくわだて」に終わっていたと思う。

 

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