【散歩の語源】曹操の子が五石散を作り、歩いたのが始まり

 

16世紀や18世紀にやって来たヨーロッパ人が、特に目的もなくブラブラ歩く行為を当時の日本人は理解できなかった。
そんな西洋人の習慣を勝海舟は「散歩」と名づけた。という話をこのまえ書いたのだよ。

【なにそれ?】日本人には理解不能だった西洋人の習慣・散歩

家の近くをのんびり歩いて、日ごろのストレスを発散させる行為を散歩という。
ヨーロッパ人が言ったプロムナードに勝海舟が「散歩」ということばをあてて以来、この行動がすっかり日本に定着したことは「ブラタモリ」や「有吉くんの正直さんぽ」を見ればわかる。
でも、「散歩」ということばをつくったのは中国人で、もともとは別の意味だったのだ。

 

話は幕末とか戦国時代じゃなくて日本でいえば弥生時代、中国では魏・呉・蜀の三国が天下統一を目指していた時代にさかのぼる。
このとき魏の曹操には何晏(か あん)という子ども(養子)がいた。
曹操には愛されたが、その実子の曹丕(文帝)から憎まれたこの何晏という人物は五石散(ごせきさん)という薬を作りだす。
これは鍾乳石、硫黄、白石英、紫石英、赤石脂の5つ鉱物をすり潰して作った薬で、滋養強壮薬の効果があったという。
超強力なリポビタンDみたいなもの?

ただ五石散は文字どおり、薬にもなれば毒にもなる。
この薬を服用して、体が熱くなる現象を「散発」と呼んだ。
もし散発が起こらないと、薬が体内で毒になって人は死んでしまう。
だから散発を生み出す(=薬の成分を体内に循環させる)ため、または発散を維持するために歩き回らないといけなかった。
こんな感じに五石散を服用したあと、散発をうながすために歩くようすを「散歩」と言うようになったという。
だから語源としては、生きるか死ぬかの分かれ道となる重大な目的があったワケだ。

五石散は後漢の時代にはすでにあったとか、細かい違いは諸説あるものの、散歩の語源としてこんな話が伝えられている。
オランダ人から「プロムナード」と聞いた勝海舟が、その日本語訳として選んだのがこの言葉だった。
いまでは中国人も「散歩」をこの意味で使っている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。