日本にあるドイツ文化:戦争捕虜が伝えた、音楽・パン・料理…

 

ほんじつ8月23日は1914年に、第一次世界大戦でイギリスの要請を受けた日本がドイツに宣戦布告をした日。
ドイツ軍は主戦場となったヨーロッパに主力を置いていたから、東アジアにおけるドイツの拠点だった中国の青島や膠州湾は手薄で、日本はここを一週間ほどで制圧してしまう。(青島の戦い
ちなみに日本軍はこの戦いで、初めて飛行機を使って戦闘を行った。

いまの日本で「青島の戦い」を知ってる人はきっと少ない。
でも、結果的にこれによって、日本へ伝わったドイツの文化は誰でも知っている。

 

国際法を遵守した日本は捕虜となった約5000人のドイツ人に丁寧に対応し、彼らを連れてきた後、徳島県、千葉県、広島県などの収容所に送る。
ドイツ人捕虜の立場や人権は尊重されていて、収容所によっては地元住民と交流することもでたし、彼らを「ドイツさん」と親しげに呼ぶ日本人もいた。
このときの捕虜から伝わったドイツ文化にはこんなものがある。

・交響曲第9番(第九)

年末になると聞こえてくる『第九』は、ドイツ人捕虜によって初めて日本で演奏され、日本人の知るところとなる。
このときドイツ人は徳島にあった板東俘虜収容所で楽器をかき集めて、声の響く風呂場で練習をして『第九』の日本初演を行なった。

ところで、なんで日本では『第九』(歓喜の歌)が年末のお約束になったのか?
その理由としては、もともとこれはドイツで年末に演奏されることがあって、現在のNHK交響楽団の前身となる楽団がその考えを採用して、同じく年末に演奏したことが挙げられる。
さらに終戦後の1940年代後半、収入があまりなく、生活に苦しんでいたオーケストラの楽団員に年越し費用を稼がせようと、楽団側が客に人気の『第九』を演目に選んだことも「年末の風物詩」の要因になった。

 

板東俘虜収容所

 

 

・パン

「Pasco」でお馴染みの敷島製パンの創業も、このときのドイツ人捕虜が関わっている。
盛田善平が名古屋の収容所にいたパン職人のハインリヒ・フロインドリーブと出会い、「これからは米の代わりにパンの時代がくる!」と確信してパンの製造を始めて、これが現在の敷島製パンになる。
第一次世界大戦が終わって1919年に解放された後も、フロインドリーブは日本に残って敷島製パン初代技師長に就任し、その後日本人と結婚した。

 

・ソーセージとハム

ドイツで食肉加工の経験があったアウグスト・ローマイヤーも解放後、日本にとどまって帝国ホテルに就職する。
そこでハムやソーセージが日本人に絶賛されたことで、「これはイケる!」と自信をもった彼は独立して、本格的な洋風のハム・ソーセージ作りを始めた。
ロースハムはローマイヤーが日本で生み出したもので、これは日本のハム。
日本人と結婚して、谷崎潤一郎の『細雪』にも出てくる銀座の有名レストラン「ローマイヤー」を開いた彼はかなりの成功者だ。
ローマイヤーが従業員として雇った小林栄次や八木下俊三などは、その後の食肉加工業界の中で重要な役割を果たすこととなる。

 

・バウムクーヘン

日本で初めてバウムクーヘンを作ったのも、菓子職人だった捕虜のカール・ユーハイムだ。
彼についてはまえに記事で書いたんで、詳しくはこれをどうぞ。

【バウムクーヘンの日】ドイツ人ユーハイムと日本の関係

 

・サッカー

ドイツ人は体を動かすことが好きで、サッカー、テニス、ビリヤードなどのスポーツをしていた。
日本人との親善試合もしていて、1919年に広島で捕虜チームと試合をした田中 敬孝(たなか よしたか)は、ドイツサッカーのレベルの高さに驚がくする。
それで毎週日曜日になると、収容所へ行って捕虜からサッカーを学んだ。
そんな田中は「サッカー王国広島」を築いた人物として、いまではウィキペディアに項目がつくられている。

ほかにも福岡県久留米市のHPにある「ドイツさんと久留米」では、当時のドイツさんのほのぼのエピソードが紹介されている。

 

戦争捕虜というのはとても不幸な立場だ。…のはずだけど、日本でのドイツさんの生活や活躍をみると、彼らはかなり恵まれていた。
でないと帰国を拒否して、日本に残ることを希望する人が何人も出なかったはず。
日本人にとっても、音楽・パン・ソーセージ&ハム・バウムクーヘン・サッカーなどいろんなドイツ文化を知るきっかけになったのはいいことだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。