「ナポリを見て死ね」
イタリア南部にあるナポリは海に面した景色の良いところで、ナポリを見ずに死んだら、生きていた意味がないということで上の言葉がイタリアにはある。
今回はそんなナポリの素敵なカフェ文化について書いていこうと思う。
ちなみにナポリにナポリタンはないですよ。
ナポリタンは第二次世界大戦後の日本で生まれた料理。
高橋によると、「ナポリタン」という命名は、中世のころナポリの屋台で庶民向けにトマトソースをかけたスパゲティが売られていたことをヒントにしたものだという。
まずはイタリアの基本を押さえておこう。
面積:30.1万平方キロメートル(日本の約5分の4)
人口:60.6百万人(2018年。日本の約半分)
首都:ローマ
言語:イタリア語(地域により独,仏語等少数言語あり)
宗教:キリスト教(カトリック)が国民の約80%と言われる。
その他,キリスト教(プロテスタント),ユダヤ教,イスラム教,仏教。
以上は外務省ホームページの「イタリア共和国(Italian Republic)基礎データ」から。
「相撲が日本の国技なら、イタリアではナンパですね」と昔テレビ番組でイタリア人がジョーク(本気かも)を言っていたけど、このようにイタリアはカトリックの影響がとても強くて、例えば離婚は日本と比較にならないほど難しい。
結婚式で神に愛を誓ってしまうため、それを「解消」するには、とんでもなく複雑な手続きがかかってしまう。
そんなイタリアに数か月滞在していた知人のリトアニア人女性から、とても印象的な文化があって感動したという話を聞いた。
*リトアニアは東ヨーロッパにある国で、イタリアと似てカトリック教徒が多く住んでいる。
あるとき彼女がナポリでコーヒーを飲もうとカフェに入ったら、入り口近くの目立つところに、大きな瓶があって中には小銭が入っている。
店の人に聞いたら、それは今までの客が入れたもので、この瓶のお金で誰でもコーヒーを飲むことができると言う。
これは「Caffè Sospeso」(カッフェ・ソスペーゾ)と呼ばれる習慣で、貧しい人でもコーヒーを飲めるように、客が二杯分のお金を払って自分は一杯だけ飲んで、残りはソスペーゾ(保留)にして誰でも飲めるようにした。
友人のイタリア人に話を聞くと、この文化の根底にはカトリックの博愛精神が流れていて、ナポリの人たちは情に厚いことからこの文化が生まれたという。
これはイタリア在住日本人から聞いた話。
むかしテレビ番組で、外国人が赤信号で止まっている車の窓を拭いたら(今は禁止)、どれぐらいの人がチップをわたすか実験してみたところ、北部のミラノでは高級車に乗った人でも小銭をわたさない人が多かった一方、ナポリでは大衆車に乗っている人でもチップをわたしていた。
内容は違うけど、日本のコンビニのレジにある募金箱と考え方は似ている。
またあるいは、子供2人を連れてそば一杯を頼んだ貧しそうな母親に、店の主人が麺を増量したそばを出して、母親が子供に分け与えて一緒に食べたという一杯のかけそばの精神。
イタリア在住の日本人に聞くと、ナポリのカフェでエスプレッソを飲んでいたとき、店に入ってきた男性が「ある?」と聞いて、「あるよ」と答えたバリスタがエスプレッソを出したのを見たという。
「ナポリを見て死ね」は景色だけじゃない。
瓶にお金を入れる以外にも、すでに一杯分払ったレシートをお店の前に出しておいて、道行く人に無料で飲めるコーヒーがあることを伝えるやり方もあるとか。
ちなみにエスプレッソはイタリアで生まれた。
1906年のミラノ万国博覧会に<ベゼラ>という名前で出品したのがエスプレッソの起源であり、1杯ずつ注文に応じて淹れる手法がトルココーヒーで既に定着していたイタリアで広く受け入れられた。
このカッフェ・ソスペーゾはナポリからイタリアの他の地域にも広がって、いまでは国境を越えている。
AFPの記事(2013年3月27日)
ブルガリアでは、生活費に苦しみコーヒー代が支払えない人も気にする必要がない。貧困問題が深刻化する同国に、金銭に困っている人にコーヒーを振舞う古いイタリアの伝統が定着しつつあるのだ。
伊ナポリ発祥の「他人のコーヒー先払い」、ブルガリアに定着
イタリアにはお釣りの出ない自動販売機があって、お釣りがたまっていくと、運のいい人は無料で飲み物をゲットできるという。
この考え方ややり方もカッフェ・ソスペーゾに似ている。
ただこれは、イタリアのどこにでもあるということではない。
現代のナポリではこの制度は衰退の傾向がある。一方、東欧、ブルガリアなどでは拡大、定着しつつある。
新型コロナウイルスで苦しむいまは、スーパーでカフェ・ソスペーゾと同じことをやる人がいて、自分が買い物をして、誰かのために余計に多めに払って店を出るという。
これもカトリックの助け合い精神か?
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>目立つところに、大きな瓶があって中には小銭が入っている。
>これは「Caffè Sospeso」(カッフェ・ソスペーゾ)と呼ばれる習慣で、貧しい人でもコーヒーを飲めるように、客が二杯分のお金を払って自分は一杯だけ飲んで、残りはソスペーゾ(保留)にして誰でも飲めるようにした。
私は、ナポリもシチリア島(Godfatherの風景)にも行ったことがなくて、一度行ってみたいなぁと考えているのですが。その話は初めて聞きました。うーん、難しい習慣だなぁ。と言うのも、それだと「チップ」はどうしたらいいのでしょうか?
やはりテーブルの上にそれとは別に小銭を置くのでしょうか? だとすると小銭がいくらあっても足りないような・・・。
それとも、チップを含めてその瓶に入れたと考えればよいのでしょうか? だけど、そのお金を「手に入れる人」が違うからなぁ。(チップは、多くの場合、そのテーブルのサービスを担当しているウェイター/ウェイトレスの大事な取り分です。)
ホント、世界中どこへ行っても、日本人にとってチップのマナーは謎だらけです。
わたしも詳しくは知りませんが、ナポリにはナポリのやり方があるんでしょうね。