【バウムクーヘンの日】ドイツ人ユーハイムと日本の関係

 

3月3日はひな祭りで、翌3月4日は「バウムクーヘンの日」だ。
なんちゅう和洋折衷。

古代中国の文化、曲水の宴(うたげ)に由来するというひな祭りについてはこの記事をどうぞ。

【ひな祭りの起源】日本・中国・韓国の文化「曲水の宴」

 

ドイツ語で「木のケーキ」(Baum(木)+kuchen(ケーキ))を意味するバウムクーヘンは、たしかに木の断面のように見える。
ドイツでうまれた物語『ヘンゼルとグレーテル』や『白雪姫』の舞台が森であることからもわかるように、ドイツは「森の国」といわれるほど豊かな、を超えて不気味なほど木々にあふれた国だった。
だから木は身近なもので、バウムクーヘンのネーミングは自然なことだったのだろう。

この名前について知人のドイツ人にメールで聞いたら、「バウムクーヘンというのは、木の断面のリングのように見えるから」という。

「it is called Baumkuchen because if you cut a slice of it you see rings like in a slice of a wood log.」

 

それにしても日本人の好奇や消化能力はすさまじい。
中国文化を「ひな祭り」という独自の文化に変え、いまでは西洋由来のお菓子を日本オリジナルのお菓子に魔改造してしまったのだから。
今回はそんなバウムクーヘンの歴史について書いておこう。

まず日本ではじめてバウムクーヘンを作ったのは、ドイツ人のお菓子職人カール・ユーハイムだ。
ちなみにこのユーハイムさんは、日本で初めてマロングラッセを販売した人物でもある。

では、ここでクエスチョン。
1919年に世界では何があったしょう?

 

1914年に始まった第一次世界大戦の講和会議が終結したのが19年で、この年にパリのベルサイユ宮殿で、連合国とドイツとの講和条約「ベルサイユ条約」が結ばれた。
このときに国際連盟が設立され、日本は世界五大国のひとつとして国連の常任理事国となる。
日本でバウムクーヘンが登場した背後には、この複雑で壮大な国際情勢があった。

第一次世界大戦は1914年のサラエボ事件をきっかけにして起きた人類初の世界大戦で、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)との戦いだった。
日本は三国協商側に味方して戦う。
といっても戦場はほとんどヨーロッパだったから、日本はこの戦争に深くかかわったわけではなくて、地中海に艦船を出したり中国や太平洋でドイツ軍と戦ったぐらいだ。

大ダメージを受けたヨーロッパと対照的に、このときの日本は武器を輸出したりして「大もうけ」してしまった。
将棋の「歩」から「金」になるように、急に金持ちになった人は「成金」と呼ばれるようになる。
第一次世界大戦のころには、そんな成金人たちが多数あらわれた。

 

歴史教科書に出てくる大戦景気の成金。
足元を明るくするために百円札に火を点ける。
一万円札(もっと?)を燃やすようなもの。

 

画像:Aurelijus

リトアニアとポーランドの伝統的なケーキ「シャコティス」
これがバウムクーヘンの起源になったという説がある。

 

第一次世界大戦のとき、日本は中国の青島でドイツ軍と戦って勝利し占領する。
このとき青島でお菓子職人をしていたユーハイムも日本軍につかまって、捕虜となって大阪の捕虜収容所に送られた。

捕虜といっても、彼らの行動はわりと自由だったようだ。
このあと広島に移送された彼は、そこで日本人には未知だったお菓子を作って披露する。
1919(大正8)年の3月4日、広島物産陳列館で開催されたドイツ作品展示即売会で、ユーハイムによるバウムクーヘンが日本で初めて登場した。

*後に原子爆弾が落ちたことから、広島物産陳列館はいまでは「原爆ドーム」として知られている。
原爆ドームはそもそもどんな建物だったか、知らない人も多いのでは。

このとき最も評価を受けたことが、その後にバウムクーヘンが日本に定着するきっかけとなる。
第一次世界大戦直後の日本は常任理事国のひとつとして欧米との交流があったし、国内では好景気にわいていたから新しい洋菓子が広まる素地は整っていたのだろう。

戦争が終わったあともユーハイムはドイツに戻ることなく、日本人のためにおいしいお菓子作りを続けたという。
そして1945年8月14日に、ユーハイムは兵庫の六甲山ホテルで息を引きとった。
この翌日8月15日、日本がアメリカに降伏して太平洋戦争は終わった。
ユーハイムの妻のエリーゼは「死ぬまで日本にいる」と宣言して、1961年に神戸で亡くなった。
2人のお墓はいま兵庫県の芦屋市にある。

 

さて本家ドイツと、日本のバームクーヘンはどう違うのか?
知人のドイツ人にメールできいたところ、こんな返事がきた。

「here Baumkuchen is just a normal cake among msny other sweets. like pocky or so. also, we only have one kind, un japan you have a lot more varieties. i had green tea or muskmelon for example ^^ 」

ドイツでバウムクーヘンといえば、ポッキーやほかのスイーツのような普通のケーキです。
ここでは一種類しかないけど、日本のバウムクーヘンはバラエティー豊富です。
私は緑茶やマスクメロンのバウムクーヘンを食べましたよ^^

ちなみにこのドイツ人はアニメをよく見ていて『エヴァンゲリオン』の中で、知ってるドイツ語をきかれたシンジが「バウムクーヘン」と言ったシーンが大好きらしい。

ということでいまで日本のバウムクーヘンは、オリジナルに独自の変化を加えた日本のお菓子になっている。
日本酒や八つ橋バージョンのキットカットもそうだけど、日本人の魔改造は相変わらずすごかった。
いまのドイツではバームクーヘンはあまり知られていないようで、「日本に来て初めてバウムクーヘンを食べた!」というドイツ人もいるという。
だからもう「和菓子」と言っていいと思うんだ。

 

それにしても人生はわからない。
ユーハイムが中国の青島でお菓子職人をしていたころ、その後自分が捕虜となって日本に運ばれるなんて夢にも思わなかったはず。
そして日本人にバウムクーヘンを紹介して、外務大臣賞をとるなんて。
最後は日本に埋められることを希望したのだから、彼は日本が大好きで、ここでの生活を気に入っていたのだろう。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。