ドイツ料理にジャガイモの理由。三十年戦争とフリードリヒ大王

 

前回、16世紀のヨーロッパでおきた宗教改革のことを書いた。

このとき、新教徒(プロテスタント)と旧教徒(カトリック)が争って多くの人が殺されている。

フランスのパリでおきた「サンバルテルミの虐殺」では、「たくさんの新教徒が殺された」と知ったローマ教皇は大喜びした。

そして虐殺を命じたフランス国王に感謝の手紙を送っている。

フランスで起きた、かの有名なサン・バルテルミーの虐殺事件で、一万人のプロテスタントが殺された。教皇グレゴリウス十三世は、虐殺を命じたフランス国王シャルル九世にこんな手紙を送った。

「神のお力を借りて、忌まわき異端者の手から人々を救ってくださったことに感謝いまします」

(キリスト教封印の世界史 ヘレン・エラーブ)

 

今でも宗教の争いはあるけど、さすがにこんな虐殺事件はない。
ISISも中世のヨーロッパ人のようなことをしているとは聞く。
実際、何をおこなっているんだろう?

 

さてさて、ドイツ料理は好きですか?

ドイツ料理ではジャガイモがよく使われている。
たとえば、ウィキペディアで「ドイツ料理」を見るとこんな文がある。

ドイツの料理では、ジャガイモを使った料理が必須のメニューに数えられる。女の子はジャガイモでフルコースの料理が出来るようになれないとお嫁にいけない、という言葉があるくらい、ジャガイモは大きな役割をもっている。

ドイツ料理といえばソーセージやザワークラフト、それにビールが有名。

浜松市にある「マインシュロス」というドイツ料理屋さんにはこんな料理がある。

 

 

写真の料理はジャーマンポテト。
中学校のときに給食のメニューだった覚えがある。
ドイツのジャガイモの生産量と消費量は世界でもトップクラスだ。

ドイツでジャガイモの栽培がさかんになったことには、それなりの理由がある。
それは三十年戦争に関係していた。

 

ヨーロッパにジャガイモがもたらされたのは16世紀のとき。

スペイン人が新大陸(アメリカ大陸)から、ヨーロッパに初めてジャガイモを運んできた。

でも当時のヨーロッパ人はこの新しい野菜を食べようとはしない。
その理由の1つにキリスト教がある。

キリスト教文化圏では「ジャガイモは聖書の出てこない食物。これを食すれば神の罰が下る」との文化的偏見も加わる。

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」

宗教的な理由の他にも、当時のジャガイモは見た目がぶっさいくで色も悪かったことから、「ハンセン病、肺炎、赤痢などの病気の原因がジャガイモにある」というウワサまで広がってしまった。

これでヨーロッパ人は、ますますジャガイモに手をのばそうとはしなくなる。

こんな偏見や迷信から、ヨーロッパの人たちはジャガイモを嫌っていた。
でも、そんなことを言ってられないことがおきる。

 

ドイツの場合、それが三十年戦争になる。

ウィキペディアで「ドイツ料理」を見ると、こんな説明がある。

新大陸発見後、南米からもたらされたジャガイモは、長い不作の時期、ドイツの民衆の飢えを満たす上で多大な貢献があった。

当時の食糧不足からくる口減らしの悲劇は、グリム童話の子捨てや姥捨て話の中にその痕跡を残している。

ドイツでの食糧不足は、三十年戦争の結果でもある。

1616~48年の間、ドイツは戦場となってしまってたくさんの人びとは殺されて農地も荒れ放題になっていた。

ドイツのほぼ全土が戦場となったこの戦争で、ドイツの農民は耕地を失い、どん底の生活を余儀なくされる。追い詰められた農民はもはや「ジャガイモを食べると流行病にかかる」などといった迷信にこだわってはいられなかった。

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」には、17世紀のヨーロッパで戦争がなかったのはわずか4年間だけだったと書いてある。

人間、飢えて死ぬくらいなら、食べられるものを何だって食べる。

耕地は全滅のために(ドイツ)農民の疲弊ははなはだしく、彼らの野山の草や木皮を食って命をつなぎ、大切な家畜をほふり、愛犬を殺して露命をつないだ。そうしたどん底の生活が彼らにジャガイモを栽培することを余儀なくさせたのである。

「食物の社会史 加茂儀一」

 

ドイツがこんな状態になったとき、フリードリヒ大王がジ「ジャガイモ令」を出した。
「全プロイセン(ドイツ)で、ジャガイモを栽培しよう!」と国民に呼びかける。

プロイセンのすべての役人に宛てて、次のような「ジャガイモ令」を発するのである。

この、地なる植物(ジャガイモ)を栽培することのメリットを民に理解させ、栄養価の高い食物として今春から、植え付けを勧めるように。

空いた土地があれば、ジャガイモを栽培せよ。なぜならこの実(ジャガイモ)は、利用価値が高いだけでなく、労に見合うだけの収穫が期待されるからである。

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」

フリードリヒ大王の「ジャガイモ令」がプロイセンを救った。

七年戦争の頃には、ジャガイモの栽培はほぼプロイセン全土に広がり、兵糧を確かなものとしたプロイセン軍隊は屈強、精強の軍隊となったのである。

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」

今のドイツ料理でジャガイモはよく使われる。
この起源をたどれば、三十年戦争後の食糧難とフリードリヒ大王の「ジャガイモ令」にいきつく。

 

おまけ

人間、食べる物がなかったら何でも食べる。
切羽詰まった状況になったら、それまで食べなかったものでも食べるようになる。

食べてみたら「あれ?これ、意外といけるゾ!」とそのおいしさに気づいて、その後それを食べることが食習慣として定着する。

カンボジアでそんなことがあった。

 

 

カンボジアを旅行中、「おい、これを食べろよ。おいしいぞ」と、写真のクモのフライを出された。
「蜘蛛の揚げ物」は、なかなか強烈なビジュアルをもっている。

カンボジア人の話だと、もともとカンボジア人はクモを食べてはいなかった。
ポルポト時代に食べる物がなくなって仕方なくクモを食べたことから、今のカンボジア食文化にクモが定着したという。

AFPの記事(2006年08月23日)にそのことが書いてある。

ポル・ポト時代の食糧難の名残、田舎で珍重される食用クモ – カンボジア

食用クモが現地の食卓に上がったのはクメール・ルージュ(Khmer Rouge )政権時代にさかのぼる。ポル・ポト(Pol Pot)による農業重視の政策により、数百万人が農村での強制労働を強いられた。

1975年から1979年までで最大200万人が死刑、飢餓、過労などで命を失ったが、このときカンボジア人は、必要に迫られてクモ、ネズミ、トカゲなどを含むあらゆるものを食べるようになった。

 

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ヨーロッパ 「目次」

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。