1922年のローマ進軍によって政権を奪い、イタリアの独裁者となってエチオピア戦争を始めたりスペイン内乱に介入し、日独伊三国同盟を結んで第二次世界大戦に参戦するも敗北。
多くの国民を死なせて恨みを買い、最後は銃殺されて遺体はミラノ中央駅前の広場に放置された。
ベニート・ムッソリーニ(1883年 – 1945年)ってのはそういう人物だ。
アニメに出てくる典型的な独裁者のような、彼の人生についてはこの記事をどうぞ。
ムッソリーニ
イタリア人にとってムッソリーニとはドイツ人にとってのヒトラーのような、その名を口にするのも嫌がるような不吉で忌々しい存在だ。
と思ったら、実はそうもでないらしい。
ムッソリーニの孫のラケーレ・ムッソリーニ氏が最近、ローマ市議会議員選挙でトップ当選を果たした。
イタリア紙のインタビュー記事でラケーレ氏はこう語る。
米CNNニュース(2021.10.08)
有権者は自らの苗字よりも、市議会での活動における「率先性」に目を向けていると信じているとし、「学校では指をさされたものだが、ラケーレはその後、頭角を現した。名前がいかに重荷であれ、名前負けしなかった」と述べた。
ムッソリーニの孫娘、ローマ市議会選でトップ当選
このまえスペイン人にこの話をしたら、「ええっ!」と驚かれた。
そのスペイン人もムッソリーニには悪魔のようなイメージを持っていたから、孫が選挙に出て、しかも当選するなんて想像を超える出来事だったらしい。
ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニと並んでよく名前が挙がるのが、太平洋戦争を始めたときの日本の首相で戦後はA級戦犯として処刑された東条英機だ。
東条英機の孫娘、東條 由布子(とうじょう ゆうこ:1939年 – 2013年)氏が2007年に参議院議員選挙に立候補したときには海外からも注目が集まった。が結果は、ラケーレ・ムッソリーニ氏とは違って落選。
この話を歴史好きなアメリカ人にしたら、「ええっ!」と驚かれた。
彼は東条英機を「日本のヒトラー」のように考えていたから、その子孫が社会で隠れて暮らすことなく、普通に(でもないけど)生活していて、選挙に立候補したというのは衝撃的だったらしい。
さて、アフロヘアの神職が神社の写真提供を呼びかける、下の「神社人」というサイトをご存知だろうか。
画像は公式ホームページのキャプチャー
「日本を楽しむ日本最大の神社ファン・コミュニティを目指す」というキャッチコピーの神社情報専門のサイト「神社人」は、東條英機のひ孫の東條英利(ひでとし)氏が立ち上げたもの。
英利氏は小学生のとき、母親に連れられて東京裁判の映画を観に行ったことから、自分のルーツを意識するようになったという。
母にとっては父がA級戦犯として処刑を命じられた裁判だから、かなり勇気と覚悟が必要だったのでは。
小学校では東条英機を知っている定年間際の先生に東條の姓を揶揄されるなど、負のイメージを抱いていた。
でも海外で生活していたときに、こういうネガティブな考えを捨て去っていまに至る。
ムッソリーニに東条英機ときて、ヒトラーの子孫はいまどこで何をしているのか?
欧米でヒトラーは最大のタブーのひとつで、この人物については超敏感だ。
「Amazonショッピング」のアプリでこんなロゴが登場したとき、「青いガムテープがヒトラーの口ひげを連想させる」というクレームが上がってデザインが変更されたほど。
©App Store
でも1945年4月30日に自殺したヒトラーは子どもをつくらなかったから、当然、子孫もいない。
知人のドイツ人は、「もしヒトラーが子孫を残していたら?と思うとゾッとするよ。本人も周りの人間も困っていたと思うよ。彼に子どもがいなかったのは、ドイツにとって本当に良かった」と言う。
もし子孫がいたとしたら選挙に立候補したり、「ドイツを楽しむコミュニティ・サイト」をつくるようなわりと普通の生活は送れなかっただろう。
現在のイタリアでは、ムッソリーニを公に賛美する行為は憲法によって禁止されている。はずなのに、ムッソリーニを好意的に考える国民は少なくない。
故郷プレダッピオの記念碑には花が絶えず捧げられている。命日やローマ進軍記念日にはネオファシストの支持者が大挙して訪れ、列を成してムッソリーニの記念碑にローマ式敬礼を行う様子も頻繁に見られる。
こう見るとホロコーストを行ったヒトラーは別格の悪で、ムッソリーニと東条英機はまだそこまでの社会的タブーにはなっていない。
でもイタリアにはムッソリーニの支持者が一定数いるけど、東条英機にそんなファンはなく、いまの日本人はもう関心がないと思う。
昭和16年に発行された写真週報
3人の女性が「ヒトラー羽子板」、「ムッソリーニ羽子板」、「近衛羽子板」を持っている。
近衞 文麿(このえ ふみまろ)はこのときの日本の首相。
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ムッソリーニだけがマフィアを壊滅寸前にまで追い込んだからでは?
なるほど。
たしかにそれはあるかもしれません。
〉ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニと並んでよく名前が挙がるのが、太平洋戦争を始めたときの日本の首相で戦後はA級戦犯として処刑された東条英機だ。
3人とも独裁者(もしくはそれに近い地位)であったかもしれないですが、連合軍に攻め込まれて敗戦の直前に自殺した者、敗戦の直前に自国を追放されて最後は自国民の手で処刑された者、降伏した相手である連合軍の手により処刑された者、その最期は三者三様です。
各人の「最期」のあり方によっても後の時代の受け止め方は違うでしょうね。