サッカーの総合情報サイト「soccer-king」がこの記事で伝える、“あの”の意味がおわかりだろうか。(2021.02.04)
ラツィオ、あのムッソリーニの“ひ孫”が所属していたと話題に…関係者は「本当に謙虚な少年」
*ラツィオはイタリアのサッカークラブ
この書き方からみると「あのムッソリーニ」とは、「謙虚」の反対側にいる人物のようだ。
それがイタリアの軍人で政治家だったベニート・ムッソリーニ(1883年 – 1945年)。
このひ孫がサッカー選手となって、いまイタリアで注目を浴びている。
第一次世界大戦のあと、国家ファシスト党を組織したムッソリーニはそのドゥーチェ(統領、指導者)となる。
イタリアの政治的・軍事的な権力を握り、絶対的な独裁者となったムッソリーニはエチオピアを侵略し、スペインの内戦に介入し、さらにナチスのヒトラーと組んで第二次世界大戦に参戦するも敗北。
多くの国民の命を奪い、イタリアを“滅亡”に追い込んだムッソリーニの最期は、まさに独裁者がたどる末路で、彼はイタリアから逃亡中に捕まって愛人のペタッチと一緒に銃殺された。
それはヒトラーが自殺した2日前の出来事だったという。
処刑されたあと、ムッソリーニの遺体はミラノ中央駅前の広場に放置された。
かつての独裁者を見つけたイタリアの民衆は、死体を銃で撃つ、物を投げつける、足で蹴飛ばす、唾を吐きかける、尿をかけるといった行為にでる。
結果、ムッソリーニの顔は原形がわからないほど変形した。
そしてこの“リンチ”あと、ムッソリーニらの死体は逆さづりにされ“見せ物”になる。
ただこれには、死体が傷つけられるのを避けるためだったという説もあるけれど、とにかく国民がムッソリーニに対して深い憎悪を持っていたことは間違いない。
このあとそのときの写真が出てくるので、ご注意を。お覚悟を。
手前から2人目がムッソリーニ、その横が愛人のペタッチ
彼らは食肉用のフックに引っ掛けられている
ムッソリーニへの評価は全体的には悪。
イタリア政府はムッソリーニを恐るべき独裁者とみていて、公の場で賞賛する言動は憲法によって禁止されている。
ただ、どの部分を見るかによって意見も変わり、この人物を支持する人も少なくないという。
ヒトラーは「歴史に作られるのではなく、歴史を作り出す人物」と絶賛し、公式会談をおこなったインドのガンディーは「祖国の発展を望む、私欲のない政治家である」とムッソリーニを称賛した。
ヒトラーとガンディーから褒められる人物というのはなかなかいない。
ここで話を戻すと、こんな人物のひ孫がサッカー選手になったということで、いまイタリアでは大きな話題になっている。
まーそりゃそうだ。
でも好奇の目で見る人はいても、それを非難する人はいないか、かなり少なそうだ。
フロリアーニ・ムッソリーニ選手は「ここラツィオで僕は、ムッソリーニという名字のためではなく、プレーの良し悪しだけで判断されるんです」と語る。
彼を受け入れたラツィオのほうも、名字は関係ないと話し、彼は優れた知性をもった本当に謙虚な少年だと称賛した。
このへんは、「罪を犯した者はその者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負い目めがない」というキリスト教精神のあらわれか。
ラツィオにとってはひ孫より、ムッソリーニを信奉するサポーターのほうが問題だ。
2年前に行われたACミラン戦のとき、かつての独裁者を支持する集団が現れた。
イタリア紙の報道を引用してAFPがこう伝える。(2019年4月25日)
「ベニト・ムソリーニに敬意を」と書かれた横断幕を掲げた覆面の集団は、1945年にムソリーニの死体がつるされたロレート広場(Piazza Loreto)の近くでファシズムの歌を歌い、ナチス式の敬礼を行っていたという。
ラツィオサポがムソリーニ支持の横断幕掲げる、クラブはメディアの姿勢を批判
さらにこのサポーターは試合中、人種差別的なチャントを繰り返す。
ラツィオはこうした“ムッソリーニ・サポーターの振る舞いを否定して、彼らとラツィオのファン全体を結びつける報道を非難した。
いまのイタリア人が問題視、非難するのはムッソリーニの血ではなくて、その思想に共感する人間のようだ。
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今も隅々にまで利権を持ってのさばる各地のマフィアを唯一壊滅寸前にまで追いやったのがムッソリーニだけというのがイタリアのジレンマかな。
エゼキエル書18章20節 「罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する」
ま、聖書にも良いこと悪いこと、正しいこと間違ったこと、色々書かれてはいますけれども。この1節は、儒教など同時代の他の文化圏に比べて一歩抜きん出た、近代的な個人の人格を尊重する先進的な思想であることを認めざるを得ませんね。素晴らしい。
ただ現実には、キリスト教徒であってもこの教えを全く理解できてない人が、意外と多いようですが。
たとえば英国の某姫や彼女の子供は、王室を追い出されるほどの何か咎を負っているのですかね?
先人のすぐれた教えどおりに生きていない人は日本にもたくさんいます。