慶応大学には独自のルールがあって、「先生」と呼べることのできる人は創立者の福沢諭吉だけで、講義を行う教授や講師などはすべて「君(くん)」になる。
だから、たとえばキャンパス内の掲示板に「鈴木君 ドイツ語 休講」と書いてあっても、それは学生ではなく、鈴木先生が講義を休むことを表している。
ただ、学生が教授と対面で話す時は、「〜先生」が一般的で、学生同士の会話では「次の講義は…田中君か。田中君の講義って、分かりにくいからイヤなんだわ」みたいに言うらしい。
さて、日本にはほかにも、「君付け」で呼ぶ特殊な世界がある。
今月の11日、国会で総理大臣指名選挙が行われた。
一度目の投票では決まらなかったため、衆議院議長が「過半数を得た方がおりません。石破茂さん、野田佳彦さんにつき、決選投票を行わなければいけません」と言う。そして二度目の投票で、自民党の石破茂くんが第103代総理大臣に選ばれた。
日本の国会では新人でもベテランでも、男性も女性も関係なく、すべての議員を「〜くん」で呼ぶという決まりがある。
これは規則として定められている。参議院先例録には「議員は、議場または委員会議室においては互いに敬称として『君』を用いる。」と書いてあり、衆議院もそれにならい、議員を「〜くん」と呼んでいるのだ。
明治23年に行われた第1回帝国議会でも、議員の敬称として「くん」が使われているから、このルールは日本の国会の歴史と一体化している。
なんで日本の政界では「君付け」の決まりができたのか?
きょう11月21日は1859年に、安政の大獄で吉田松陰が処刑された日だ。
松陰くん、R.I.P.(rest in peace:安らかに眠れ)
彼が長州藩で若者に学問を教えていた松下村塾では、農民や武士などさまざまな身分の塾生がいて、身分の違いを気にして自由に意見を述べたり、対等な立場で議論したりすることができなかった。
松陰はそんな空気を破るために、塾内ではすべての人に「君」という敬称を使うことをルールとした。
当時の封建社会では、すべての人が「主君」に対して敬意をもっていたから、その「君」を使って呼び合えば、相手に敬意を示すことができ、さらに対等な関係になることができる。
吉田松陰は「君付け」をすることによって、塾内の身分の壁をぶっ壊そうとした。
松陰が亡くなった後、弟子の伊藤博文や山県有朋が総理大臣になったとき、松下村塾のルールを議会に持ち込んで議員を「君」と呼び、それが現代に続く日本の国会のルールになったという。
ということで、そのルーツは幕末の松下村塾で、身分の上下をなくすために吉田松陰が導入した「君付け」にあった。
おまけ
韓国社会も儒教の影響を強く受け、上下関係が厳しい。
2002年のサッカーワールドカップで韓国をベスト4に導いたオランダ人のヒディンク氏は、指導を始めたころ、韓国チームではいつもベテランが若手選手に指示を出し、自分の意見を言わなかったため、その様子を見て「ありえない」と驚いたという。
そこでヒディンクは、すべての選手たちが年齢やキャリアに関係なく、対等な立場になれるように、全員が相手を名前だけで呼ぶようにした。
これで韓国チームは生まれ変わった。
全員が同じ呼び方をすることで、平等になるという目的は松陰と同じだが、ヒディングのやり方はヨーロッパ式の「呼び捨て」だった。
韓国社会が儒教の影響を受けているのは事実ですが、スポーツ界で先輩·後輩間の位階秩序は儒教の影響ではなく、日本統治時代の文化です。韓国の軍隊内でも兵士間では階級によって厳しい秩序がありますが、これもやはり日本統治時代の文化です。
朝鮮は500年間軍隊の規律がありませんでした。朝鮮社会の秩序を規定した五禮のうち、軍禮はありませんでした。現在の韓国社会の基本秩序はすべて日本統治時代に作られたものが改良されたものです。