江戸時代にあった身分の壁 助かった将軍と亡くなった女王

 

手が付けられない乱暴な人間は困るけど、手を触れられない高貴な人間も扱いが難しい。

今から140年ほど前、タイの王妃と王女が乗った船が事故に遭(あ)う。
でもこの時、国で最も高貴な女性である2人には、身分の低い人が触れることが厳禁されていて、もし触れたら処刑されるきまりがあった。
だから、たくさんの人が現場にいたにも関わらず、誰も助けることができなかった。
結果として、王妃と王女の神聖さを守るルールのために、2人は命を失うことになる。

と、そんな話が広く信じられているけれど、実際には王妃と王女は川から救出されたものの、蘇生には成功せず、最終的には2人とも死亡した。
そんな記事をきのう書いたのですよ。

高嶺の花にも限度がある タイの王妃&王女に起きた悲劇

この話では、本来は禁止されていたのだろうけど、船員(か他の誰か)が王妃と王女に触れている。
でもそうではなく、自分の身分からそれを拒否して、高貴さを保ったまま亡くなった”女王”が日本にいたことをご存じだろうか。

 

江戸時代には、かなり変わった診察法があったという。
当時、身分の上下が厳格に分けられていたため、医者であっても、将軍や皇族などの高貴な人たちに直接触れることが禁止されることもあった。
そのため、医者が尊いお方の脈を確かめるためには、まずその人の手首に糸を巻き、離れた場所にいる医師が糸を持ってそこに伝わる脈を感じ取っていた。
これを「糸脈」という。

ある日、第11代将軍・徳川 家斉(いえなり:1787年 – 1837年)が病気になり、江戸城は大騒ぎになった。
その時、名医と評判の町医者・石川桜所(良信)に白羽の矢が立つ。
将軍を診てほしいということだったのに幕府側は、身分の低い町医者が将軍の体に触れることは許さないから、糸脈で診察するようにと命令する。
すると、「それでは治療はできない。糸脈をしろと言うのなら、私は帰らせてもらう」と桜所が怒る。
あわてた幕府はその場で桜所を200石の旗本(徳川家直属の家臣)にして、家斉の診察をさせた。
その結果、家斉は全壊したら困るが、無事全快したという。

でも残念なことに、第4代将軍・徳川家綱の妻(御台所)である顕子女王(あきこじょおう)には、そんなハッピーエンドは訪れなかった。
自分から断ってしまった。
顕子女王が乳がんになると、家綱は糸脈で診察するように命じたが、医師たちは直接脈を取らないと適切な治療を行うことはできませんと言う。
家綱が医師の診察を受けるようすすめたものの、皇族出身の顕子女王は拒否する。
「身分の低い者と直接会って、体に触れられるようなことがあってはなりません。それは公家の秩序を乱すことになります」と治療よりも身分制度を優先し、1676年に37歳で亡くなった。

ただし、石川桜所が優れた医師で、顕子女王が乳がんで亡くなったことは事実だけど、糸脈という診察法が実際に行われていたのかはハッキリとわかっていない。
だけど、そんなことが起こり得ると信じられるような、厳しい身分の壁が江戸時代には確かにあった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。