はじめの一言
「今や国内平和なり。けだし、内政よろしきこと他国に此を見ざるところなり
(ウィリアムズ・アダムス 江戸時代)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
*ウィリアムズ・アダムスがこう言ったのは、関ヶ原の戦いが終わったあとで、徳川家康によって日本が平和が訪れようとしていたとき。
ウィリアム・アダムス(三浦按針)」という人は、日本に来た最初のイギリス人と言われている。
さらに、「イギリス出身の武士」という不思議な人物でもある。

三浦按針の像(ウィキペディア)
今回の内容
・人種差別がなければ、ノーベル賞を受賞できた日本人
・北里柴三郎
・野口英世
・鈴木梅太郎
・人種差別がなければ、ノーベル賞を受賞できた日本人
以前、「日本人は、創造力があるか?」ということをテーマに記事を書いた。
このことは、日本人と外国人と認識が大きく違っている。
日本人は「日本人には創造力がない」と考える人が多い。
外国人は「日本人には創造力がある」と考える人が多い。
くわしくは、下の記事を読んでほしい。
日本の創造力、中国人や韓国人から見た日本人のノーベル賞の受賞
ノーベル賞については、韓国人や中国人はこんな疑問をもっている。
「日本人が、これだけ多くのノーベル賞を受賞している理由はなにか?」
韓国人や中国人から見たら「なんで?」というほど、たくさんの日本人がノーベル賞を受賞している。
でもその一方で、ノーベル賞をとってもおかしくないほどの優れた業績を残したけれど、人種差別のために受賞がかなわなかったと言われる日本人もいる。
今回は、そんな日本人を3人紹介したい。

・北里柴三郎
まずは、北里大学の生みの親(学祖)である北里柴三郎(1852~1931)。
北里柴三郎は破傷風の研究で世界的に有名な学者だ。
これは意外と知られていないが、ボクもアフリカ旅行に行く前に破傷風の予防注射を打っている。
誰も知らなくていいけど。
北里柴三郎はドイツに留学して、コッホの指導を受ける。
破傷風菌の純粋培養に成功し、抗毒素を発見した。
帰国後にはペスト菌を発見する。
そしてその後、北里研究所をつくった。
・野口英世
お次はこの北里柴三郎の弟子だった野口英世(1876~1928)。
「千円札の人」でもおなじみですね。
野口英世は細菌学者で北里柴三郎に師事した。
1900年にアメリカへわたって蛇毒や梅毒スピロヘータを研究する。
その後、西アフリカのガーナで黄熱病の研究中に病気で亡くなった。

ガーナの海岸
・鈴木梅太郎
最後は「ビタミンの発見者」といわれる鈴木梅太郎(1874~1943)。
通称「梅ちゃん」。もちろんテキトー。
鈴木梅太郎
東大教授。明治42年(1909)米ぬかから脚気(かっけ)に効く成分(ビタミンB1)の抽出に成功、オリザニンと命名。翌年発表し、ビタミン発見の先駆をなした。文化勲章受章。
(デジタル大辞泉の解説)
この3人以外にも、人種差別によって、ノーベル賞を受賞できなかったと言われている日本人たちがいる。
興味がある人は、下のサイトを見てほしい。
今回の復習
・破傷風の研究で世界的に有名な日本人の学者はだれ?
・梅毒の研究で世界的に有名な学者で、黄熱病の研究中にガーナで亡くなった日本
人はだれ?
・ビタミン発見の先駆をなした日本人の学者はだれ?
答え
・北里柴三郎
・野口英世
・鈴木梅太郎

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