目安箱がうんだ成功例 町医者+将軍=小石川養生所

 

「弊社はより良いサービスを追求しております。ぜひ、お客様の率直なご意見をお聞かせください。」

近所のドラッグストアにそんな「ご意見箱」があって、ホントかどうか知らんけど社長室直行と書いてある。
これとそっくりなシステムが、1721年に将軍・徳川吉宗が設置した目安箱だ。
*「目安」とは訴状のこと。

これはとても民主的で、毎日の身近な生活から政治のことまで、江戸の庶民は不満やリクエストを自由に書いて目安箱に入れることができた。
ただその訴え(投書)には住所や氏名の記入が必要で、匿名の訴状は捨てられる。
箱にはカギが掛けられていて、江戸城まで運ばれると将軍がカギを使って目安箱を開けていたから、これは100%、将軍直行だ。
それで気に入らない老中や幕閣を蹴落とすような投書もあったという。
陰険な日本人はきっと縄文時代からいた。

 

享保6年(1721年)に町医者の小川 笙船(しょうせん)がこの目安箱に、「施薬院(やくいん)を設置したらどうでしょう?」といった意見を投書する。
山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」の”赤ひげ先生”のモデルがこの人だ。

*施薬院は庶民を救済する施設のことで、奈良時代に設置された。
「せやくいん」でもいいけど、「施」をスキップして「やくいん 」と読まれることが多い。

日本人のチャリティー精神:奈良時代に施薬院・悲田院を設置

ある日、「カチャカチャ、パカッ」と目安箱を開けて、小川 笙船の意見に目を通した吉宗は「悪くない」と思い、さっそく施薬院の設立を家来に命じる。
それを受けて、現代の日本では「大岡越前守」で知られる町奉行の大岡 忠相(ただすけ)が笙船を呼び、彼の意見が反映された小石川養生所(ようじょうしょ)が完成する。
すると「タダで治療が受けられる!」と江戸中の評判になって、貧しい人たちが殺到すると思いきや、なかなか人が集まらない。
なぜか?

この時は”無料”をアピールにして集めた人を使って、薬草の効果を確かめるというウワサが流れて、多くの人がコワがって足を運ばなかったから。
「完全無料!」に釣られて足を踏み入れた後、何だかんだでお金をとられて、結局は高くつくというシステムは21世紀の日本でもよくある。
タダで治療を受けられるのは、貧民である自分たちが”人体実験”の道具になるからという話は、当時の人たちには合理的で真実味もあったらしい。
それで養生所が人々に内部を見学させるなどして、「無料&安心」ということが分かると、小石川養生所の入院患者は増えていった。

そんなことで貧民でも無料で医者の治療を受けたり、薬をもらえるこの医療施設は幕末まで140年ほど存続して、多くの人たちの命を救ってきた。
これも町医者のひらめきと、将軍の実行力がタッグを組んだおかげだ。
この2人を直接結びつける目安箱というキューピットが無かったら、こんな成功例は生まれなかった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。