【ムガル帝国】日本人の死角、イスラム大国としてのインド

 

ことしの3月、新しく知り合ったインド人を花見に誘ったら、すぐに返事がきて、「誘ってくれてありがとう」という言葉の後、こう書いてあった。

「Sorry I am in fasting this week end. It may be difficult for me to join. I would like to invite you to my home once after Ramadan fasting」

イスラム教徒にとって、神聖なラマダンの月は断食(fasting)をする期間になっているから、昼間は食事はもちろん、水を飲むこともできない。
桜のスポットに何カ所か行くつもりだったから、その状態で歩き回るのは大変だろうし、断食中の人をピクニックに誘うのも微妙。
これなら、断るのも理解できる。
というか、このインド人はイスラム教徒だったのか! ということをメールで初めて知った。
自分の頭の中には「インド人=ヒンドゥー教徒」という固定観念があるから、それを前提で話をしてしまい、途中で「私はイスラム教徒です」と言われ、「あっ」となることがたまにある。

インドにはヒンドゥー教徒が圧倒的に多くて、日本の学校ではそれとヴァルナ(カースト)制度について教えている。
しかし、インドには2億人近いイスラム教徒もいるのだ。
イスラム教徒の人口で見ると、インドはインドネシアとパキスタンに続く世界第3位だという事実が、日本ではあまり知られていない。
イスラム教徒のインド人に聞くと、ボクと同じように、日本人が自分をヒンドゥー教徒と勝手に誤解して話を進めるケースはよくあるという。

 

さて、きょう4月21日は、1526年にインド北部で、第一次ジャンピンニーパッドじゃなくて、第一次パーニーパットの戦いがあった日だ。
この戦いでバーブルがローディー朝の王をぶっ倒した後、イスラム王朝のムガル帝国を建国し、約300年以上もインドに君臨し続けた。
ちなみに、バーブルがパーニーパットの戦いに勝利した理由の一つに大砲がある。
大砲のすさまじい音に敵軍の戦象たちが驚いて暴れ出し、ローディー軍の兵士たちを踏みつぶしたという。
こうしてバーブルが建てたムガル帝国は、現代のインドの政治や社会に重大な影響を与えることとなった。

its aftermath had a significant impact on the political and social landscape of the country, establishing the Mughal Empire, which lasted for 331 years (1526-1857).

First Battle of Panipat

 

インドには7世紀ごろ、西からやって来たアラブ人の貿易商によってイスラム教が伝えられたと考えられている。
イスラム教の影響は古代からあり、300年以上も続いたムガル帝国がインド社会に大きなインパクトを与えた。
イスラム教徒がヒンドゥー教徒と誤解されたら、不快な思いをするか、少なくともハッピーな気持ちにはならないはずだ。
確認しないで相手を決めつけ、勝手に話を進めると、後で自分が戸惑うことになる。
普通の日本人にとって、「イスラム大国としてのインド」というのは死角になっていると、インド人の話を聞いてよく感じる。

 

 

インド 「目次」

日本とインドの歴史や文化の違い タージマハルの見方

【無慈悲と寛容】現代インド人が皇帝アクバルを好きな理由

ヒンドゥー教のサティーVSムガル帝国とイギリスの植民地支配

生きたまま焼かれるインドのサティ―(儀式)とその様子

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。