生きたまま焼かれるインドのサティ―(儀式)とその様子


 

始めの一言

「ある村は家々の前に綺麗な花壇をしつらており、風趣と愉楽の気分に溢れ、ことのほかさっぱりして美しい感じをたたえている。
(モース 明治時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」

 

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今回の内容

・サティーの様子
・サティーを拒否したら?

 

*「サティー」とは、夫が亡くなった場合、その妻も一緒に火で焼かれたというインドにあった習慣。

 

・サティーの様子

ムガル帝国だったインドに、医者であり旅行者でもあったベルニエというフランス人がいた。

ムガル帝国1526~1858
インドのほぼ全域を支配したイスラーム王朝。
名称はモンゴル帝国に由来する。バーブルにより建国され、第3代アクバルから第6代のアウラングゼーブまでが最盛期であった。

(世界史用語集 山川出版)

 

この記述にあるように、「ムガル」とは「モンゴル」という言葉に由来する。

1660年ごろ、ベルニエはこのムガル帝国にいた。
そのベルニエが書いた旅行記があって、その中にこのような記述がある。

あまりに多くの旅行者が、インドでは女性が焼かれると書くことでしょうから、ついにはその幾分かは信じられることだろうと思います(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

これは、前回書いた「サティー」のこと。
このベルニエはサティーに立ち会って、目の前でその儀式を見ている。

 

現在、インドを旅行する多くの人はバラナシという都市に行くと思う。
そこには火葬場があって、その火葬の様子が見られるから。
ボクも見たことがあるけど、言葉にならないようなショックを受ける。

脳みそが沸騰する音を聞いたという旅行者もいた。
ううっ・・・。

 

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バラナシ

 

それでも、バラナシでのものは死体であって、生きた人間ではない。

ベルニエの場合は、生きたまま焼かれる様子を見ている。
*薪は「まき」。

本当に焼死してしまう女性達については、おぞましい光景に何度も立ち会いましたので、もうそれ以上ほとんど耐えられませんでしたし、今でも考えるだけで何かの恐怖を感じます

薪や火を目にして何か恐怖を示す女性を何人か見たのは事実です。
(中略)もう手遅れなのです。悪魔のようなバラモンがそこにいて、大きな棍棒を持って彼女達を動転させ、励まし、中に押しやります。
(中略)女性は、身の周りや衣服に火がつくのを見てもがいていたところ、あの死刑執行人達が棒で彼女を二、三度押し戻しました。

(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

棒をもって女性を火の中に押し込むというのは、想像しただけで気分が悪くなる。

ベルニエは、十二歳にもならない少女がサティーで焼かれてしまったことに心を痛めている。

ラホールでまだほんの若くとても美しい女性が焼かれるのを見たことを思い出します。十二歳以上だったとは思えません。

この気の毒な不幸な少女は、薪の山に近づいた時、生きているというよりはもう死んだようになっていました。彼女は震え、大粒の涙を流していました。

一方であの死刑執行人三、四人が、彼女の腋の下から掴んでいる老婆と共に、彼女を押しやり薪の山に座らせました。
彼女が逃げるかもがくといけないと思ったので、彼らは手足を縛り、四方八方から火を掛け、生きながら焼いてしまいました。

私は自分の怒りを抑えるのにずい分苦労しました。

(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

 

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バラナシには、聖なるガンガー(ガンジス川)が流れている。

 

・サティーを拒否したら?

燃えさかる炎を目にしたら、誰だって恐怖を感じるはず。
その中に身を投じることをためらう女性も当然いた。

でも、サティーで焼かれることが「ヒンドゥー教徒の女性として望ましい」という考えもある。
それを拒否したら、その女性はもう誰からも相手にされなくなってしまう。

「アウト・カースト」という、インド社会の最下層におかれた人間をのぞいては。

女性達は絶対に助からないという訳ではなく、まだ容色の衰えていない女性が、彼らの手から逃れ掃除人の手に身を委ねるのを、私は何度も見ました。

焼かれる筈になっているのがどこかの美しく若い女性で、あまり係累がなく付き添いも多くないと分かっている場合には、連中は時として群をなしてそこに来ているのです。

と言いますのも、薪の山を見て怖くなって逃れた女性は、もはや異教徒達に受け入れられもせず、一緒に生活することができないのです。
(中略)このような不名誉を犯した彼女達を破廉恥な輩と判定するからです。(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

この「掃除人」というのは、バンギ―と呼ばれるアウト・カーストの人たちだと考えられている。
インドのヒンドゥー教社会では最下層におかれていて、人間の扱いを受けていなかった人たち。

不可蝕民というのは、ヒンズー社会の最下層級であり、太古の昔からカーストヒンズー(不可蝕民以外のヒンズー教徒)によって、『触れるべからざるもの』として忌避(きひ)されてきた

住居も、町や村外れの、不潔な、生活用水もない場所に定められ、木の葉や泥以外の家に住むことができず、その暮らしは家畜以下であった(アンベードカルの生涯 光文社新書)

 

これは20世紀のアウト・カーストの人たちの生活だけど、17世紀はこれと同じかもっとひどかっただろう。

 

アウト・カーストの人たち

 

サティーを拒否した女性は「不名誉な存在」とみなされて、それまでのコミュニティから追放されていた。
「掃除人(最下層カースト)の女」になって生きることとなる。

彼女たちは普通はこの種の人々の餌食になります

(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

これもすべての女性ができたわけではない。
若くて美しい女性はこれができたが、年をとった女性にはこの選択肢はなかっただろう。
生きたまま焼かれるしかなかった。

 

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サティーの様子(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

サティーを受け入れたら、生きたまま焼かれる。
サティーを拒否したら、生きたまま殺される経験をする。

どちらを選んでも、地獄でしかない。

 

 

おまけ

日本には、こんなサティのような習慣はない。

と思ったけど、琉球(沖縄)にこのサティに似た習慣があったみたい。
申叔舟(しん しゅくしゅう:1417-75)が日本について書いた「海東諸国紀」に、こんな記述がある。

*「刎」は、「首はねて」の意味。

婦、子女無くして夫死せば、則ち自ら刎ねて之に従う者は十に常に七、八人なり。王も亦禁ずる能わず。

「海東諸国紀 朝鮮人が見た中世の日本と琉球 申叔舟(岩波文庫)」

 

子どもがいなくて夫が死んでしまったら、妻は自分の首をはねて自殺する。
一緒に自殺する人も10人中7、8人いたという。
これは、琉球王も止められなかったらしい。
ちなみに、申叔舟には有名な言葉がある。
自分が死ぬ間際に、朝鮮王から「最後に言葉はないか?」と聞かれたとき、申叔舟はこんなことを言っている。

「願わくば国家、日本と和を失うことなかれ」

 

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「インド・カテゴリー」の目次 ①

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投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

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