はじめの一言
*日本の農民の勤勉さについて。
「最も炯眼な植物学者ですら、よく耕作された畑に未知の草類を見出せないほどに、農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである
(ツュンベリ 江戸時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
前回は、江戸時代の女性の立場について書いた。
今回は、同時代の外国での女性の立場、特にインドでの事情(サティー)について書きたい。
・サティーとラーマーヤナ
16世紀のあたりでは、世界的にみて女性の地位は低かった。
以前の記事でも書いたけど、ヨーロッパでのキリスト教社会では、「女は本当に人間だろうか?」と本気で話し合っていたぐらい。
ヴィッテンベルクに住むルター派の信徒たちは、女が本当に人間かどうかをめぐって論争した。
正統派は、すべての罪の責任は女にあると考えていた。(キリスト教封印の世界史 徳間書店)」
でも、日本やヨーロッパの女性も、この時代のインドの女性に比べたらはるかにマシだ。
ダリットと呼ばれる「最下層カースト」の女性
・サティーとは?
この時代、インドには悪名高い「サティー」という習慣があった。
サティー
ヒンドゥー社会における慣行で、寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺をすることである。日本語では「寡婦焚死」または「寡婦殉死」と訳されている。
本来は「貞淑な女性」を意味する言葉であった。(ウィキペディア)
インドではヒンドゥー教の考えで、人が死んだあとその死体は火葬することになっている。 夫が死んだ場合、その妻も夫の死体を焼く炎に身を投じて同じ炎に焼かれて死ぬことが美徳とされていた。
だから、これは「インドの習慣」というよりはヒンドゥー教での習慣といったほうが正確。
こんな残酷なサティーという習慣は、なんで生まれたのか?
これはいくつかの説があるけど、その有力な説に聖典「ラーマーヤナ」にもとづくというものがある。
サティーの習俗は、インドの神話との結びつきを有している。インドの叙事詩には、貞淑の証として、火による自殺を図った女性が2人登場する。一人は『ラーマーヤナ』におけるラーマの妻シーターであり
(ウィキペディア)
ラーマというのは主人公の王子の名前で、彼にはシータという妃(きさき)がいた。
*このシータは「ラピュタ」でも有名。
宮崎駿監督のアニメーション映画『天空の城ラピュタ』のヒロイン、シータのモデルとされる。
(ウィキペディア)
ラピュタでは、ムスカが「ラピュタの雷」についてこんなセリフを言っている。
「ラーマヤーナではインドラの矢とも伝えているがね」
としたら、パズーは「ラーマ王子」で、ムスカは「ラーヴァナ」ということか?
左がシータで、右がパズー、ではなくてラーマ(アンコール・ワット)
このシータが、悪者のラーヴァナと「体の関係をもったのではないか?」と疑われた。
そのシータが燃えさかる炎の中を歩いて、貞淑を証明する場面がこのサティーのもとになったと言われている。
その場面をラーマーヤナ物語からひろってみる。
はればれとしたシータの顔は、大理石のようにうつくしく、身にまとった衣もうつくしく、ひと足あゆむごとに、衣は黄金いろの波のようにきらきらとゆれました。
シータは一歩、一歩、もえたつ森のようなほのおのなかを、おちついてあゆみをすすめました。ほのおはシータの衣のすそにふれると、たちまち消えかかってしまいます。めらめらともえたつまっ赤なほのおは、シータがちかづくと、消えそうになっておじぎをしてしまうのです。ひと足、ひと足、シータは火のうえをあゆんでいきました。
とうとう、とおりぬけて、にっこりわらいながら勝ちほこってあらわれました。衣のどこにも火はつきません。
シータはりっぱに清らかであってのです。(ラーマーヤナ 河田清史)
こうして、シータはラーヴァナとは関係をもっていないということが証明された。めでたし、めでたしというもの。
でも、この「正しい人は、必ず救われる」という考えは危ないんだけどね。
中世ヨーロッパでおこなわれた「魔女裁判」では、両手両足を縛った女性を川に放り投げて殺していた。これも「正しい人は、救われる」という考え方にもとづいたものだから。
ちなみに、こういうのを「神明裁判(しんめいさいばん)」という。
神明裁判(しんめいさいばん)とは、何らかの手段を用いて神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判方法である
(ウィキペディア)
ヨーロッパはもちろん、カンボジアのアンコール時代にもおこなわれている。
日本では魏志倭人伝にもこの神明裁判の例が書いてあるし、織田信長もおこなったともいわれている。
興味がある人は見てみて。
またまた脱線してながくなってしまった。
インドのサティーの内容については、次回書きます。
こちらもどうですか?
タージマハルを知りましょ① 目的とは・世界の評価・インドの歴史
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