明治時代、イギリス人のイザベラ・バードは日本各地を旅行し、ある村で思いがけない体験をした。
夕食用に一羽の鶏を買い、それを締め殺そうとしたとき、女性がやって来た。彼女は悲しそうな顔をしながら、自分がその鶏を育てたから、殺されるのは耐えられないと言ってお金を返そうとする。
バードはそんな温かい心にふれて感動し、旅行記にこう記した。
「こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた」
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社東洋文庫)
動物を大切にする気持ちを「美しい」と感じる心は、国や時代を超えて人類に共通してある。しかし、モノには限度がある。生き物を愛する自分の心の美しさに酔って周りが見えなくなり、常識からハズレた行動をすると、ネットで「動物愛誤」と揶揄されることがある。
そういう人は日本にもインドにもいる。

荷物を運ぶラクダ in インド
アニメの『くまのプーさん』や『くまクマ熊ベアー』に出てくるクマはとてもかわいいが、3次元のクマはまったくやさしくない。
現実のクマの恐ろしさを文字で表現するのは不可能だ。「クマに引っかかれてけがをした」という一文を読んだだけでは、顔の半分の皮がはがれて血だらけになったり、鼻が削られて眼球が飛び出したりするような凄惨(せいさん)な状況は想像しにくい。
今の日本では、そうした恐怖と隣り合わせで暮らす人たちがいる。去年、秋田市のスーパーにクマが侵入して従業員を襲いけがをさせ、数日間にわたって立てこもる出来事が起きた。2018年の時点でクマは全国34都道府県にいて、生息範囲は広がっている(クマ類の生息状況、被害状況等について)。最近は人の生活圏にも現れ、クマに襲われる被害が多発している。
住民の安全や平和な生活を守るためにハンターが銃でクマを仕留めると、今度は自治体に対して動物愛護団体や個人から苦情が殺到する。「かわいそうだ」「クマを殺すな」という抗議から、「お前が死ね」などの暴言まで届き、役所が電話対応に追われて通常業務ができなくなることもある。
2024年に秋田県の佐竹知事がそんなクレーマーに激怒し、「もし私が電話を受けたら『お前のところにクマを送るから住所を送れ』と言う」と発言し、世間の注目と共感を集めた。
遠くにいると「かわいい森のクマさん」でも、、いつ命を奪われるかわからない危険な存在だ。「クマさんかわいそう」論にはネット上で厳しい反応も出る。
遠く離れている人には「かわいい森のクマさん」でも、身近に被害が出る地域の住民にとっては、いつ命を奪われるかわからない無慈悲な怪物だ。
無責任な「クマさんかわいそう」論者にネット民の反応はいつも厳しい。
・アニメや漫画の見過ぎの害って確かにあるよな
で、現実を見ない
・もう地方の自治体じゃ手に負えないだろ
国が対策しろよ
対熊専用軍作れ
・くまモンも肩身狭いだろうな
・森にいる熊まで駆除してるわけじゃないんだし
ゴキブリだって出てこなければ駆除されない

インドで牛は神聖視され、移動の自由が認められている。しかし、こうした「野良牛」は人間を尊重しないから、角で刺されて死亡する事件も起きている。
人里に現れた危険なクマを駆除したら、今度は「意識高い系」の人たちが現れて反発し、世間を混乱させる——。
知人のインド人にそんな話をすると、インド社会でも似た現象が起きているという。
インドには推定で6000万頭以上の野良犬がいて、市民がかまれて狂犬病になるなどの問題が以前からあった。彼は子どものころ、サッカーをしていて後ろから来た犬に足をかまれた経験がある。
狂犬病に有効な治療法はなく、発症すると致死率はほぼ100%だから、そんな犬にかまれるのはデスノートに名前を書かれるのと同じ。インドでは狂犬病で死亡する人がとても多く、世界の36%を占めている。
こうした背景があって、最近、最高裁は野良犬を施設に収容することを命じた。しかし、動物愛護団体が反対デモを起こし、決定が変更されてしまった。
もともとはすべての野犬を収容する予定だったが、変更後は「狂犬病に感染しているか、攻撃的な犬に限定」して収容し、それ以外の野犬は予防接種と去勢手術を行ったうえで、捕獲した場所に戻してよいことになった。また、公共の場で野良犬にえさを与えることは原則禁止された。
ソース:英BBCの記事(22 August 2025)
India top court shelves plan to lock up Delhi’s one million street dogs
地球上にあるすべての命は平等で同じ価値をもつ——。
知人のインド人はそんなごう慢な考え方を嫌う。それはすべてを超越した神の「上から目線」の言い方で、人間はもっと謙虚になるべきだと言う。彼は人間の命をいちばん尊いと考え、生き物を大きく「ヒトとそれ以外」の2つに分けている。
そんな彼からすると、「攻撃的な犬」の定義があいまいで、これでは危険が無くなるとは思えないから、最高裁の変更に失望した。同時に、人命を軽視し、声が大きい動物「愛誤」団体には怒りを覚えたという。
日本ではクマ、インドでは犬という違いはあるが、「私が愛する動物を殺すくらいならお前が死ね」と叫ぶような一部の過激な人たちによって社会が乱される状況は、両国で変わらない。動物「愛誤」を「愛護」に変えることは本当にむずかしい。
後日談
この記事を書いた数日後、NHKの『きょうの健康』が異例の内容を放送した。この番組では、がんや心臓病などの危険な病気や効果的な運動や体操の方法など、医学・健康にかんする情報を提供している。その『きょうの健康』で「クマから命を守る!」をテーマに取り上げた。クマ害は国民的な問題になっている。

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