始めの一言
「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致することがある。それは日本が子供達の天国だということである。(モース 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・神道の「女性差別」の理由とは?
・式年遷宮の理由は穢れのため?
神道の「女人禁制」のため、女性は土俵に上がることができない。
そんな話をアメリカ人の女の子にすると、その子が怒った。
「なんで神道には、そんな女人禁制があるの?土俵に女性が入ってはいけないというのは差別よ。神道の最高神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)でしょ?女性の神様じゃない。それなのに、神道になんで女性蔑視の考え方があるのyp?」
なんで神道では、女人禁制という考えがあるのか?
今回はそんなテーマです。
・神道の「女性差別」の理由とは?
このときボクが話したのは、「神道では女性を蔑視しているというより、死や血を穢(けが)れとしていて、それを避けている」ということ。
神道においては、生物の身体から離れて、流出した血液は血の穢れとみなされる。(これは身体の一部が身体から分離したものをケガレとみなす考え方で、頭髪や爪、排泄物などにも同様な観念がみられる、また他の宗教や神話にも類似した観念が存在する)
(ウィキペディア)
こんな考え方があるから、生理中の女性が神社などの聖域へ立ち入ることが禁止されることがあった。
もちろん、お神輿(みこし)など神聖な物に触れることもNG。
こ神道では血を穢れとしているから、女性だけではなくて男性も立ち入りを禁止されることがあった。
本来は、女性だけでなく、生傷を負って流血している男性が神域に入ることや、神域での狩猟なども同様な理由で禁止されている。
(ウィキペディア)
ただ男性に比べたら、生理や出産があるから女性のほうが「血が身近にある存在」と考えられていたのだろう。
だから、神道では女人禁制という考えが生まれたのではないか?
それが現代では、「女性差別」にみえてしまうこともある。
この神道での穢れの考え方がよくあらわれているのが古事記。
イザナギが亡くなってしまった妻のイザナミに会うため、死の世界「黄泉(よみ)」に向かう。
でも、そこにいたイザナミは「死のケガレにとりつかれて(神仏習合 義江彰夫)」腐っていた。
その姿を見て驚いたイザナギが走って逃げる。
すると、腐乱死体となったイザナミが起き上がってイザナギを追いかける。
それでもイザナギは、なんとか黄泉からこの世に戻って来ることができた。
でもイザナギは、「死の世界」にいたため身体が死のケガレがとりついていると考えた。そこで、身体を清浄にしようと清らかな海に入って禊(みそぎ)をした。
その禊をしているとき、左の眼を洗うと天照大御神が生まれた。
古事記にこんな話がある。
この話をケガレという観点でみるとこうなるという。
以上のストーリーを、ケガレ観念という視点から見なおすと、わたしはつぎのように読み取れると思う。
イザナミの死によるケガレの発生と、イザナギによるケガレの払拭。その結果出現する至浄の神アマテラス
(神仏習合 義江彰夫)
このように、神道の最高神である天照大御神は、ケガレを払う禊によって生まれた「至浄の神」とされている。
この場合のケガレは、黄泉の世界(死の世界)に行ったことによる「死のケガレ」になる。
・式年遷宮の理由は穢れのため?
伊勢神宮では20年おきに式年遷宮がおこなわれる。
しきねん‐せんぐうさい【式年遷宮祭】
定期的に神殿をつくり替え神座を移す、神社にとって最も重要な祭儀。伊勢神宮では、原則として20年ごとに行われている。
(デジタル大辞泉の解説)
これは文字通り「日本で最大最高のお祭りです(伊勢神宮HP)」というもの。
なんで20年おきにすべての建物を建て替えるのか?
じつは、よくわからない。
その理由についてはいずれの書籍にも記載がなく、これまで様々な理由が推定されてきました。
(伊勢神宮HP)
でも、伊勢神宮では次のように解釈しているらしい。
結果的にみると、20年ごとに行われてきたことが、唯一神明造ゆいいつしんめいづくりという建築技術や御装束神宝などの調度品を現在に伝えることができ、今でもいつでも新しく、いつまでも変わらない姿を望むことができます。
これにより神と人、そして国家に永遠を目指したと考えられます。(伊勢神宮HP)
これが「公式見解」になる。
式年遷宮の様子(ウィキペディア)
でも、式年遷宮をおこなう理由にはさまざまな説があって、その中の1つに、神道の考えによる「穢れをはらうため」というものがある。
神道の精神として、常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)を求めたため。
建物がいまだ使用可能の状態であっても、老朽化することは穢れであり、神の生命力を衰えさせることとして忌み嫌われたため、建物を新しくすることにより神の生命力を蘇らせ、活性化することになると考えられたのではないか(ウィキペディア)
個人的にはこの説を支持しているんだけどね。
ということで神道では女性を蔑視して差別しているのではなくて、「穢れ」を忌み嫌っているということだと思うよ。
ちなみにイザナギが黄泉の世界からこの世に戻ってきた話をしたでしょ?
このことから生まれたのが、「よみがえる」という言葉。
「黄泉から帰ってきた」でしょ?
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前にウィキペディアでその説を見たことがあります。
一般的には支持されていませんが、面白いですね。