【日本軍の敗因】成功に学ばず、考え方も時代遅れだった

 

最近、アナウンサーがニュース番組で、「大和証券」を「やまとしょうけん」と読み間違えたことがネットで話題になった。このアナウンサーさんは戦艦オタクだったかも。

ヤマトといえば、先日、戦艦大和のカラー映像が初めて公開されて、こっちも注目を集めた。
大和は人類史上、最大となる「46センチ主砲」を装備していて、まさに最大・最強の戦艦だった。

【戦艦大和】なぜ日本は“世界最大・最強”をめざしたのか?

大和の主砲の射程距離は約 40キロメートルで、こんなに遠くに砲弾を飛ばせる戦艦は、当時の世界には存在しなかったが、最強だからといって、無双だったわけではない。
大和は1942年のミッドウェー作戦でデビューしてから、戦争末期に撃沈されるまで、日本軍が期待したような活躍をすることができなかった。
ここに、日本がアメリカに負けた原因の一つがある。

 

戦艦大和の勇姿

 

戦前・戦中の日本軍は、破壊力のある砲弾を遠くへ飛ばして攻撃する「大艦巨砲主義」に執着し、そんな考え方が戦艦大和として具現化した。
大和は防御力も高く、敵戦艦からの砲撃を受けても簡単には破壊されない分厚い甲板を持っていた。魚雷を一発くらっても戦闘に影響はなく、同じ側に二発受けても、応急措置をすれば戦闘能力は低下しない高い強度があった。
ただ、空からの攻撃、つまり航空攻撃には弱点があった。

しかし、時代が変われば、戦術も変化する。
戦艦どうしが戦って雌雄を決するという考え方は時代遅れで、すでに航空機での攻撃が重視されつつあった。
米軍にそれを気づかせたのは日本軍だった。

1941年12月8日、日本軍の航空隊が真珠湾にいたアメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃をしかけ、戦艦4隻を撃沈し、3隻を大破させて米軍に大打撃を与える。
2日後の12月10日、別の航空隊がマレー沖で、イギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。これは、海上を移動中の戦艦を航空攻撃だけで沈めた世界初の事例となる。

英国が誇るプリンス・オブ・ウエールズとレパルスが同時に撃沈されたと知り、チャーチル首相は絶句したという。
イギリス議会で彼はこう述べた。

「 マレーとハワイにおいて与えられた喪失の重大性を過小評価してはならない。また我々を襲ってきた新たな敵の力をも。また絶対の勝利を収めるのに必要な大きな兵力を極東に創造し、整理し、盛り上げることに要する時間の長さも、過少評価してはならない 」

真珠湾攻撃とマレー沖海戦での日本軍の成功は、米軍にも大きな影響を与えた。

二つの敗退から学習したのは、米軍であった。米軍は、それまであった大型戦艦建造計画を中止し、航空母艦と航空機の生産に全力を集中し、しだいに優勢な機動部隊をつくり上げていった。

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「大艦巨砲主義」が時代遅れになったことを世界に示したのが日本軍だった。
外国がそれを見て学び、戦艦よりも航空機の性能を向上させる方向へ進んだ一方、日本は考え方を変えず、艦隊決戦に固執していた。
大和を上回る「超大和型戦艦」をつくろうとする計画まであったのだ。
日本軍の頭の固さはちょっと救いようがない。

もちろん、未来が見える人もいた。
航空隊副長だった大西滝治郎は、大和の建造費を空母や戦闘機の予算に振り替えるべきだと力説したという。しかしながら、そんな意見が日本軍の主流となることはなく、4年以上の時間と巨額な予算を使って建造された戦艦大和は、米軍の航空攻撃を受けて海底に沈んだ。
大和に搭載されたレーダーの性能が低かったり、海軍の訓練不足があったりした影響で、大和の誇る世界最大の主砲はその威力を十分に発揮することはできなかった。

砲弾を遠くに飛ばすコンテストなら、大和は間違いなく世界一だったが、「ノーコン」では戦艦としての意味がない。
時速100マイル(160.9キロ)を投げることができるピッチャーでも、ストライクが入らなかったら役に立たないのと同じ。
日本軍は最後まで、大和が持つモンスターのようなスペックを活かすことができなかった。
これは、大和と同型の「武蔵」にも当てはまる。

 

日本軍が時代を変えたのに、自分たちはそれに気づいていなかった。
アメリカやイギリスはそれに学び、戦略を根本的に変更したのに、日本軍は古い時代の考え方から抜け出せず、旧世界の住人でいた。
「大艦巨砲主義」を持ち続け、艦隊決戦を夢見ているうちに原子爆弾を受けて現実に目覚めた。
ということで、日本軍が考え方を変えられなかったことが、重大な敗因の一つになっている。
その判断ミスによって、どれだけの兵士が亡くなったかわからない。
大和証券を「やまとしょうけん」と読み間違えることが話題になる現代は本当に平和だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。