きょう1月5日は、明治の日本人がその”精神”を世界に示した日。
日露戦争における旅順要塞の攻略で日本が勝利をおさめると、乃木希典が1905年1月5日、ロシア軍のステッセリと水師営(すいしえい)で会見をおこなう。
このとき勝者だった乃木に「上から目線」の言動はなく、降伏したステッセルに帯剣を許すなど最大限の敬意を示し、互いに酒を飲んで打ち解けた。
このときロシア軍人の名誉を重んじた乃木は、記者が何度要求しても会見の写真を一枚しか認めず、こう言い渡した。
「敵将に失礼ではないか。後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ」
水師営の会見での一枚
中央で乃木希典がステッセリと並んでいる。
旅順での戦いぶりや敗者の名誉を守ろうとする乃木の姿は海外にも伝わり、敵国のロシアをはじめ、世界中から称賛された。
子供の名前や発足した会の名称に「乃木」の名や乃木が占領した「旅順」(アルツール)の名をもらう例が世界的に頻発した。加えて乃木に対しては、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニアおよびイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された
『乃木坂46』の由来をたどると乃木希典にいきつく。
でも、これは乃木の個人的な判断ではなく、日本軍の勝利を聞いて明治天皇が言ったことを乃木が忠実に守った結果だ。
日露戦争において旅順陥落の知らせを聞いた明治天皇の最初の発言は、降伏したロシアの将軍ステッセルの武人としての名誉を大切にせよというものでした。
よかったとか、すばらしい勝利だということではなかった。敵の将軍のことを心配していたのです。これは立派な態度だと私は思います。
「明治天皇を語る (新潮新書) ドナルド・キーン)」
さて話はかわって先月12月8日は、日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった日。
…というワケでは必ずしもなく、その1時間前に、実は陸軍がマレー上陸作戦を開始していたのだ。
イギリス軍が東南アジアの拠点としていたシンガポールを、日本軍が落としたマレー作戦についてくわしいことはこの記事を見てもらおうか。
このとき1941年12月10日に行われたマレー沖海戦では、日本の航空部隊が英東洋艦隊とぶつかった。
戦闘が始まるまえのイギリス艦隊は楽勝モードで、士官たちは「彼らは日本人だぜ、心配することなんか何もない」と笑っていたという。
で、日本軍はこのフラグをみごとに回収。
イギリス軍が誇る最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズとすさまじい攻撃力をもつ巡洋戦艦レパルスを、日本の航空部隊が撃沈させて世界を驚かす。
知らせを聞いたチャーチル首相は著書のなかで、この2隻を失ったことが第二次世界大戦でもっとも衝撃を受けたことだと書く。
航行中の戦艦を空からの攻撃だけで沈めたのは、これが世界で初めてだ。
プリンス・オブ・ウェールズとレパルス両艦の戦死者が少なかったのは、イギリス軍の駆逐艦による救助作業を日本軍が全く妨害しなかったからだったという。
日本軍の攻撃を回避しようとするプリンス・オブ・ウェールズとレパルス
この作戦に参加して、後日、同じ海域を飛んだ壹岐春記大尉はレパルスとプリンス・オブ・ウェールズを見つけると、戦友の冥福とイギリス軍の将兵の霊のために2つの花束を投下し敬礼をした。
もちろん、戦争を美化するつもりは1ミリもないですよ。
でも明治天皇、乃木希典、壹岐春記など敗者の名誉を大事に考え、敬意を払っていた日本人がいたことは覚えておいていい。
外国人も感動!日本人の国民性(いたわりの心)敗者を尊重する。
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