450年ぶりに、カトリック教会と英国国教会が和解する

 

5月28日は1982年に、ローマ教皇として初めてヨハネ・パウロ2世がイギリスを訪問した日。
そして教皇はエリザベス2世やイングランド国教会の首長と話し合い、「450年」ぶりにカトリック教会とイングランド国教会が和解した。

話は 16世紀にさかのぼる。
当時、カトリック教徒だったイングランド国王ヘンリー8世は、妻と離婚して別の女性と結婚をしたいと考えた。
しかし、カトリックの教義で離婚は認められないから、結婚の無効を願うヘンリー8世に対し、教皇は「いや無理だから」と拒否する。
どうしても離婚したかった王は「なら、オレがカトリックをやめればいいじゃん」とひらめいた。
宗教会議でイングランドにおける教皇の権威が廃止され、イングランド国教会が設立されると、1534年にカトリック教会から離脱した(English Reformation)。
つまり、ヘンリー8世は妻とローマ・カトリック教会と同時に縁を切ったことになる。
ローマ教皇は激怒し、ヘンリーを破門した。

この後、ヘンリーはまた離婚して別の女性と結婚したり、元妻を処刑したりして、21世紀の英国民からはこう言われてしまう。

「Henry the 8th treating women like disposable objects」
(ヘンリー8世は女性を使い捨ての物のように扱っていた)

ヘンリー8世の「女と宗教」を、現代イギリス人はどう思う?

 

ヘンリー8世(1491年 – 1547年)

 

それから時が流れ、1982年にヨハネ・パウロ2世がイギリスを訪問し、カンタベリー大司教と会い、抱擁を交わた。(1982 visit by Pope John Paul II to the United Kingdom
ニューヨーク・タイムズは、ローマ・カトリック教会とイングランド国教会の約 450年にわたる分裂の憎しみや誤解、偏見を少なくともその瞬間は一掃したと、含みを持たせて書いている。(

at least for that moment, all the hatred and misunderstanding and prejudice of almost 450 years of division between the Church of Rome and the Church of England.

AFTER A RIFT OF 450 YEARS, 2 CHURCH HEADS EMBRACE

 

カトリックとは「普遍の」という意味。
ヴァチカンは、カトリックの教えをすべての人類にあてはまるものと考えていて、おそらくイングランド国教会を自分たちと「同格」とは見なしていない。
450年ぶりの和解は、ヨハネ・パウロ2世の個人的な動機が強かったから、NYTは「at least for that moment」という一言を付け加えたのでは?

ちなみに、ヨハネ・パウロ2世は「空飛ぶ教皇」として世界各国を訪れ、イスラム教やユダヤ教など異なる宗教との交流を積極的に行なったことで有名だ。
1981年にローマ教皇として初めて来日し、広島市と長崎市で「戦争は死です」と演説を行なったり、1995年には天台宗の大阿闍梨だった酒井雄哉と会見したりした。
こんな寛容な法皇でなかったら、16世紀から続いた分裂を修復することはできなかっただろう。たとえ一瞬であっても。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。