きょう4月21日は1509年に、イングランド王ヘンリー7世が亡くなってヘンリー8世が即位した日。
そのヘンリー8世について最近、イギリス人女性がSNSにこんなことを書いていた。
「kicked off hundreds of years of religious squabbling so he could do all this shit. Forever changed my country.」
何百年も続いた宗教上の争いを止めさせて、彼はこんなクソ(shit)みたいなことができるようになった。私の国を永遠に変えた。
「But I wonder. How did the general population react and respond to Henry the 8th treating women like disposable objects? 」
しかし、どうだろう。ヘンリー8世が女性を使い捨てのモノのような扱いをしたことで、一般の人々はどのような反応や対応をしたんだろう?
このイギリス人だけじゃなくてヘンリー8世を知る人なら、「女性を使い捨てにした」、「永遠にイギリスを変えた」というイメージを持っているはず。
実際、ヘンリー8世はそんなヤツで、この王の関連キーワードは「女と宗教」だ。
肥満が原因で亡くなったヘンリー8世(1491年 – 1547年)
ドヤ顔じゃなくて、ダイエットをしろと。
1509年にイングランド国王となったヘンリー8世は、そのすぐあとにスペインのキャサリン・オブ・アラゴンと最初の結婚をした。
これは彼女の名前の英語読みだ。
スペイン語だと「カタリーナ・デ・アラゴン」になって、悪役令嬢か知らんけど「カタリナ」と表現されることもある。
でもこの結婚は、このあとヘンリー8世とかかわる女性にとっては破滅フラグでしかなかった。
女の子(後のメアリー1世)を授かったものの、自分の世継ぎとなる男の子(王子)が生まれなかったことで、ヘンリーはキャサリンを捨ててアン・ブーリンとの結婚を求めるようになる。
となるとそのためには、キャサリンと離婚(婚姻の無効)をしないといけない。
でも、カトリック教徒だったヘンリー8世はローマ教皇から、「いやそれ、ぜったい無理だから」と言われてキャサリンと別れることができない。
かつてローマ教皇レオ10世から、「信仰の擁護者」という称号をもらったほど熱心なカトリック信者であったヘンリーは悩んで、悩みぬいた結果、宗教よりお気に入りの女を選ぶ。
離婚をガンとして認めてくれないローマ・カトリック教会に見切りをつけ、ヘンリーは新しいキリスト教の「イングランド国教会」を成立して自分がそのトップになる。
ちなみに、いまの女王エリザベス2世もイングランド国教会の信者だ。
そのせいで激怒した教皇に破門されたけど、ヘンリーにとってはダレが知るかと。
これでめでたくアン・ブーリンと結婚したヘンリー8世は、キャサリンを宮廷から追い出した。
その後、彼はアンとの間に女児(後のエリザベス1世)をもうけることができたが、またしても男の子は生まれず。
ヘンリーの期待に応えられなかったアンは処刑されてしまう。
以来、ロンドン塔には、自分の首を抱えたアン・ブーリンの霊が彷徨うようになったという。
アンを処刑した翌日、ジェーン・シーモアと婚約したヘンリー8世は鬼畜ですか?
そしてとうとう男子(後のエドワード6世)が誕生したけど、ジェーンは亡くなってしまう。
ジェーンに「もう一つの不死鳥に命を与えるために亡くなった不死鳥」とロマンチックな言葉をおくったヘンリーは次の結婚相手を探す。
アン・オブ・クレーヴズという女性の肖像画(いまでいうお見合い写真?)を見て、「ビビビッ」ときたヘンリーはアンと結婚した。と思ったら、すぐに別れる。
そのあと1540年にヘンリーと結婚したキャサリン・ハワードは、2年後に処刑された。
*こんなことをするから、21世紀のイギリス人に「all this shit(クソみたいなこと)」をした国王と言われてしまう。
そして最後にキャサリン・パーと6度目の結婚を果たす。
キャサリンはいままでと違って離婚されたり、処刑されることなく、夫ヘンリー8世の死を見届けた。
離婚したいために、ヘンリー8世はイギリス国教会という新しいキリスト教をつくったし、その後、いろんな女性と離婚と結婚を繰り返した(処刑も)。
だから現代のイギリス人が「永遠にイギリスを変えた」、「女性を使い捨てにした」と評価するのも納得。
ヘンリー8世は「女と宗教」で、歴代のイギリス国王のなかでも特別な存在感をもっている。
にしても凄まじい「カタリナ率」の高さよ。
ホントに破滅フラグだった。
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