【日本人と月食】天皇・貴族・源頼朝はどう思い、何をした?

 

月が地球の影に隠れていき、太陽・地球・月が一直線に並んで月が完全に覆われる。
きのうそんな皆既月食を見た人がネットで報告するから、いまSNSではこの天体ショーの画像が次々と出てくる。

 

 

上が日本の月で、下はミャンマーのもの。

 

 

そしてこれは神奈川の米軍・厚木基地から見た月食。
月の視点から「Did you see me!?」と人間に聞くところが英語の発想っぽい。

 

 

科学の発達した21世紀なら月食の仕組みも、赤く見える理由もしっかり分かっているから、人類にとってこの現象は大人も子供も楽しめる天体ショーでしかない。
でも、古代の人間はそうじゃない。
これは日食のことなんだが、約3000年前に現在のトルコでメディア王国とリュディア王国が戦っていた時、昼間なのに周囲が暗くなってきから、不安になった両軍兵士が戦闘を停止してそのまま戦争が終わったこともあった。

【未知の恐怖】日食が止めた、紀元前6世紀の戦い

ロシアも月食に“神の意思”を感じればいいのに。

 

この天体現象が日本で初めて記録されたのは日本書紀で、そこには「日蝕え尽きたり」とある。
「蝕」は蝕(むしば)むという意味だから、病気のように悪いことや不吉なことが徐々に広がっていくというイメージだろう。
日本神話には太陽神アマテラスが怒って洞窟に隠れると、光が消えて、世界は闇に包まれたという物語がある。これは日食を示しているのかもしれない。

平安末期~鎌倉時代を生きた貴族・九条兼実(かねざね)の日記の『玉葉』(ぎょくよう)には、不幸なことが起こらないように、月食の間は月を見ないで厄災除けの「一字金輪法」を唱えたと書いてある。
昔の日本人が月食を、何か悪いことが起こる前兆、いまでいう「不幸フラグ」と考えたのは当然。
鎌倉時代に順徳天皇が記したという『禁秘抄』(きんぴしょう)によると、日食と月食は天皇にとっては特に重要(不吉)で、室内の御簾(みす)を下げて絶対にその光に当たらないよう警戒した。

この天体現象を恐れる気持ちは武士も同じだ。
弟を自害に追い込む非情の心を持ち、日本で初となる武家政権・鎌倉幕府を開いた源頼朝は、月食を理由に御家人の家に泊まったと記録されている。
これも月食の光を体に浴びるのを避けたかったからだろう。

 

でも、死体を集めて「人造人間」をつくったという、ネクロマンサーみたいな西行は例外的日本人だった。

日本で初めて「人造人間」を作ったという仏教僧・西行

歌人の西行は月食をテーマにこんな歌を詠む。

「忌むと言ひて 影に当らぬ 今宵しも 破(わ)れて月見る 名や立ちぬらん」

不吉だということで、人々は月蝕の光に当たらないようにしているのに、私はそういう月なら、何とかして見てみたい。こんな自分について、世間で悪い評判が立たないといいのだけど。

 

天文学が発達してきて日食や月食の仕組みが分かってくると、西行のように「見てみたい!」と思う人が増えてくる。
明治時代のころは「食」と「蝕」の両方が使われていたけど、1956年の国語審議会の「同音の漢字による書きかえ」で“食”に統一されて今にいたる。
もう月食や日食は「蝕む」みたいに、イヤな現象ではないという認識が広くあったからでは?

現代の日本人は月食に不安を感じて、その光を避けたり呪文を唱えることはない。
家族がそんなことをしたら不安しかないけど。
一般の日本人も「Did you see me!? 🌝🌗🌚)」というアメリカ人の感覚とほぼ同じと思う。
でも迷信より、まわりの目を気にした西行の意識は今もほとんど変わっていない。
現代でも日本人にとって、最大レベルの恐怖は世間の評判だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。