寛容と移民問題①インドとオランダの違い・社会の多様性と自然


 

ドイツにある「聖ウルリヒ・アンド・アフラ教会」ってという教会を知ってますか?

この教会はとても珍しいことで有名。

なんで珍しいのかといえば、この教会はキリスト教の旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の2つの教派のためのものだから。

 

JTBツアーズの説明から。

1474年建設が開始され、1555年にアウグスブルクの宗教和議(ルター派の信仰を認めた)を記念し増築された。新、旧教が同居の非常に珍しい教会。新教が手前の聖アフラ、旧教が大きく豪華な装飾の聖ウルリヒ。

聖ウルリヒ・アンド・アフラ教会 (St.Ulrich Und St.Afra Kirche)

 

ふつう、カトリックとプロテスタントの教会は別々に建てられている。

だから、1つの教会にその2つがあるというのは、世界的に見ても本当に例外的。
ドイツ旅行に行ったら、ぜひ行ってみてください。

今回の記事はいろいろな違いを受け入れるという多様性の話なので、こんな教会を紹介してみました。

 

ちなみに、この「世界の非常識」は日本だと常識的なこと。
清水寺のなかに神社があって、アメリカ人が驚いていた。

「ちょっと、なんで仏教のお寺の中に神道の神社があるの?わけわかんない!」

日本では、そんなのあたり前だのクラッカー。
ふっ、古い。

 

 

今の日本には、子どもが少ない。

こうなると将来、働く人が減ってしまう。
それはわかっている。

当然、国に入ってくる税金も少なくなる。
国にお金がなくなると、高齢者を始め日本国民が生活でいろいろと困ることになる。
それもわかっている。

 

そうしたことを受けて、政府は「外国人の移民を受け入れたらいいんじゃないの?」と考えている。
移民の数も具体的に出ていて、毎年20万人と試算されている。

これは日本にとって、「国策の大転換」になるらしい。
産経新聞の記事(2014.3.13)から。

毎年20万人の移民受け入れ 政府が本格検討開始

政府が、少子高齢化に伴って激減する労働力人口の穴埋め策として、移民の大量受け入れの本格的な検討に入った。

内閣府は毎年20万人を受け入れることで、合計特殊出生率が人口を維持できる2・07に回復すれば、今後100年間は人口の大幅減を避けられると試算している。

(中略)ただ、大量受け入れには単純労働者を認めることが不可欠で、反対論も強まりそうだ。
現在、外国人労働者は高度人材などに制限されており、日本国籍を付与する移民の大量受け入れとなれば国策の大転換となる。

 

「毎年20万人」かはわからないけど、これから日本で生活する外国人が増えることは間違いない。

これを読んでいるあなたの近所に外国人が住むようなって、ゴミ出しときに英語や中国語であいさつをするかも。
ボクは外国人からいろいろな話を聞くことが好きだから、浜松市のように外国人が多いところは良いと思っている。

今の日本人も外国人と一緒に生活するようになる可能性は高いのだから、オランダの移民受け入れの様子からそのことを考えてもいいと思う。

 

前回は、オランダがいろいろな宗教や民族の外国人を受け入れて、国が豊かになったという「光の面」を書いた。

でも今のオランダには、外国人を「受け入れすぎた」と考えている人が多い。
多様性にはマイナスの面もある。
それは浜松市も同じ。

今回から、外国人を受け入れたことによる「影の面」を書いていきたい。
何ごとでも、ものごとを判断するには正と負のを知っておくことが大切だから。

 

 

オランダといえば、「寛容と自由の国」として有名。

たとえば、こんな感じ。

国土面積は日本の九州と同程度の小国・オランダは、1970年代から移民・難民をほぼ無条件で受け入れ続け、その懐の深さを国の象徴とし、『寛大な多民族国家』として世界の国々に対しアピールしてきた。

在外国人たちの国籍を列挙すれば、世界一周が出来るというのが国民の自慢であり

寛大さが裏目に?移民大国オランダが“差別合戦”の地に…なぜ人々は荒んでしまったのか?

 

インドを旅行中に、オランダ人の旅行者からこれと同じことを聞いたことがある。

宿で同じ部屋になった50歳ぐらいのオランダ人と、インドの印象について話をしていた時のこと。

ボクは日本と比べて、「インドにはすごく多様性がある」ということを話した。
インドでは、州によって言葉、宗教、民族が違う。
同じインド人でも、別の州に行けば言葉が通じなかったり新聞の文字が読めなかったりする。

日本でこんなことはあり得ない。
どこに行っても、日本語は通じるし同じ日本人がいる。

 

オランダ人の彼から見たら、インドとオランダにはどんな違いがあるんだろう?
そんな興味を持って彼の話を聞いてみた。

すると彼は、インドで多様性を強く感じなかったという。

「オランダはインドの一つの州より小さいけど、世界中の人間が集まっている。だから、民族の多様性の高さでいえばオランダのほうが上だよ。アムステルダムには、白人、黒人、アジア人などいろいろな人種の人がいる。インドの街を見てもそんなにいろいろな人種の人がいるわけじゃないから」

 

 

その時まで、小さなオランダに世界中の人たちが集まっていることを知らなかった。

一言に多様性といっても、オランダとインドはその種類が違う。
オランダの多様性は、移民から成り立っている。
だから、肌の色が違う人が多くいる。

それに対して、インドの多様性は移民によるものではない。
インドは、もともといろいろな国に分かれていた。
それらが統一して、今のインドができた。

だから、昔の国や地方にいた人たちや言葉がそのまま今のインドに残っている。
それがインドの多様性の理由で、オランダのように移民という人工的な理由ではない。

 

ではオランダ人から見たら、オランダとインドの違いは何か?
その彼にとっては、自然だった。

この時ボクとそのオランダ人は、ヒマラヤ近くの「カルギル」という街にいた。
50歳というおじいちゃんに近いオランダ人は、ヒマラヤ近くの山を一人でトレッキングしていたという猛者。

その猛者いわく、

「オランダに、こんな大自然はないよ。国土は小さいし、人もたくさんいるから。ボクがトレッキングをしていたところでは、ほとんど民家がなかった。人と会うことがなかったから、人と話すこともない。だから自然のなかで、ずっといろいろなことを考えることができた。オランダでは、こんな時間を持ったことがなかったね」

 

こんな氷河があるところ。
よくこういうところを一人で歩く気になるもんだ。

オランダにはこんな自然はないらしい。
日本にもないけど。

 

先ほどのオランダの記事は、2015年11月のもの。

寛大な多民族国家が自慢だったというのは、今では過去形に近い。

「誰でもウェルカム」という寛容の精神の結果、世界中の宗教や人種の人たちがオランダに移り住むようになる。
その結果、多様性のある社会が生まれて、それがオランダの豊かさの理由でもあった。

でも、そんなオランダ社会の寛容な雰囲気がだんだんと変わっていく。
オランダの人びとが、国内に住む外国人へ厳しい視線を向けるようになっていった。

 

でもこれは、オランダだけではない。
ヨーロッパ全体の傾向として、それがある。
国内の外国人に対して、嫌悪感や敵意が少しずつ増大していった。

そのことは、ヨーロッパ各国の支持政党の変化を見ればわかる。

フランスやオーストリアなどでは今、移民受け入れを拒否するような右翼政党の支持率が上がっている。
イギリスがEUから抜け出した理由も、移民の受け入れを否定的に考えている人が多かったことがある。

 

オランダの寛容の精神が動揺し出したのは、2000年ごろだという。
これは2人のオランダ人の殺害事件がきっかけだった。

「オランダを知るための60章」では、2002年のピム・フォルタインの殺害と2004年のテオ・ファン・ゴッホの殺害事件をあげている。

この二人の殺害によって、この国は四〇〇年かけて創り上げてきた「寛容性」というオランダ文化をのアイデンティティを大きく問われることになった。

人々は、この国が歴史的に培ってきた寛容性と民主性の文化はすでに幻想にすぎないのではないかと震撼とさせられ、パニックに陥った。

「オランダを知るための60章」

次回にこのことを書いていきます。

 

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投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

“寛容と移民問題①インドとオランダの違い・社会の多様性と自然” への 2 件のフィードバック

  1. 多様性を認めた究極の形が国家という枠組みをなくすことだと思いますが、アメリカもヨーロッパも移民を排除する方向で動いているようです。結局人間はある程度の枠組みの中でしか生きられないのかもしれない。逆に多様性を認めない究極が侵略戦争ということでしょうか。 
    多様性というのは、国籍、人種などの違いだけではなくて、 国内においても会社や学校などある一定の社会組織に属するメンバーのパーソナリティの違いも意味すると思いますが、そういった世界の流れがある意味差別的な空気につながっていかないか心配です。
    私もインドを旅行したことがありますが、インドの人たちに多様性を認めるという意識があるのか、細かいことを気にしない国民性なのかはわかりませんが、インドの社会を目の当たりにして多少自分の硬い頭がほぐれたような気がします。

  2. ・多様性を認めた究極の形が国家という枠組みをなくすことだと思いますが、アメリカもヨーロッパも移民を排除する方向で動いているようです。

    排除というか、移民を社会に合った適正な人数にするのではないかと思います。
    アメリカはまだこれから始まりますけど。

    ・結局人間はある程度の枠組みの中でしか生きられないのかもしれない。逆に多様性を認めない究極が侵略戦争ということでしょうか。

    人間が生きるには枠組みが必要でしょうね。
    はるか未来に世界の国が1つになったら別でしょうけど。
    多様性を認めなかったために起こった戦争というのは記憶にないですね。国を守るためだったり、資源を手に入れるまためだったり。
     
    ・多様性というのは、国籍、人種などの違いだけではなくて、国内においても会社や学校などある一定の社会組織に属する
    メンバーのパーソナリティの違いも意味すると思いますが、そういった世界の流れがある意味差別的な空気につながっていかないか心配です。

    おおざっぱ言って、自分との違いを認めてその違いと共存するのが多様化だと思います。
    でも、オランダにせよフランスにせよ、「この国の価値観や考え方を否定するなら出ていくべく」という
    ことを大統領候補や首相が言っています。
    属する組織の価値観や常識をまもって誠意渇していれば、差別的な空気も生まれにくいと思いますけどね。

    ・私もインドを旅行したことがありますが、インドの人たちに多様性を認めるという意識があるのか、
    細かいことを気にしない国民性なのかはわかりませんがインドの社会を目の当たりにして多少自分の硬い頭がほぐれたような気がします。

    インド旅行はいいですね。
    インド人の場合は、生まれてからインドしか知らないと思います。
    だから、社会の求める考え方を自然と身に着けていmす。
    インド人の自然な振る舞いを、日本人から見たら多様性を認めているように感じるのかな、と思います。

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