日本人は日韓併合の経緯を知らない? それは韓国人も…

 

1904年のきょう4月8日、英仏協商が成立した。
これによってイギリスはエジプトに、フランスはモロッコに優越権をもつことを相互に確認した。
つまり、互いに相手をジャマをしないということだ。
当時、ドイツが台頭してきたから、英仏は利益を奪われないようにタッグを組むことになった。その結果、1912年にモロッコが、1914年にはエジプトが主権を失い、それぞれイギリスとフランスの保護国となり、支配されるようになる。

ちなみに、英仏の関係が対立から協調へ変化したことで、「漁夫の利」を得たラッキーな国がある。
それがタイ。
当時、イギリスはビルマを支配し、フランスはベトナムやカンボジアを支配していたが、英仏協商によって、その中間にあったタイにはどっちも手を出さないことが決まり、タイの独立が守られることにつながった。

20世紀はじめの国際社会は、欧米列強が定めた帝国主義によって動かされていた。
弱い国は強国の“エサ”となるという「弱肉強食」がルールや常識となっていて、そうなる運命を避けたかったから、自国を強化するしかなかった。
タイではラーマ5世による近代化が成功し、幸運もあって独立を保つことができた。
しかし、韓国はそうではなかった。

 

英仏協商の締結を記念する絵はがき

左のブリタニア(ブリタニアとはイギリスを擬人化した女神)と右のマリアンヌ(フランスを象徴する女性像。自由の女神)がうれしそうに踊っている。

 

先日、韓国のハンギョレ新聞で日本のある准教授が、日本の学生は日韓併合についてもっと学ぶ必要があると主張していた。

(2024-04-05)

「日本の学生たちは『韓国併合』をよく知らない」…教科書にもっと記述が増えれば」

この准教授の話によると、韓国の高校の歴史教科書では、韓国が併合されるに至った経緯と植民地時代についての記述は約140ページあるのに対し、日本の教科書ではわずか2ページしかない。
だから、日韓ではこの時代の歴史についての知識量がまったく違う。
そこでこの准教授は、日本の教科書に、第2次日韓協約(韓国では乙巳勒約)や韓国併合について、韓国ではどのように学んでいるのかを書いてほしいと希望している。
韓国の人たちがこの協約について、「強制的かつ不当に結んだ条約」と教えられていることを日本の学生が理解することで、日韓の未来世代の交流に役立つという。

ただ、この准教授は韓国に厳しいことも述べている。
高宗が治めていた大韓帝国が近代国家になれずに崩壊した原因については、「高宗はいったん条約を結んでも、名目があれば後でそれは無効になると考えていた」ように見えると韓国側の責任に言及した。

しかし、韓国が日本に併合されるに至った過程については、当時の国際情勢の理解が欠かせない。

 

大韓帝国初代皇帝・高宗(在位:1897年 – 1907年)

 

英仏協商の翌年(1905年)、日本の桂太郎とアメリカがひそかに話し合い、桂・タフト協定が結ばれた。
このときは日露戦争の最中だったが、日本海海戦で勝利したことで日本の勝利は確定的になっていたから、「その後」を決める必要があった。
内容は英仏協商とソックリ。
この協定で、アメリカは韓国における日本の支配権を確認し、日本はフィリピンにおけるアメリカ支配権を確認した。
タフトは、日本が韓国を保護国にすることで、東アジアの安定に貢献するという桂の主張に同意し、ルーズベルト大統領も「全く正しい」と認めた。
これによって日本はその年の11月、第二次日韓協約で韓国を保護国とした。
外交権を失い、独立の危機が迫った韓国では、高宗がこの条約は無効であるという国書を西洋列強に送った。
さらにこれとは別に、ドイツにも同じ内容の密書を送っていたことがわかった。

中央日報の記事(2008.02.20)

高宗「乙巳条約無効」密書、ドイツ皇帝にも送っていた

高宗はドイツ皇帝に対し、

「ほかの強大国たちとともに弱者の保護者として本国の独立を保障してくれる陛下の友誼を期待しております。そのときには朕と朝鮮の臣民は貴下の誠意を永遠に忘れないと天に向かって誓います。」

と訴えた。
しかし、当時のドイツ外交部はこの密書を皇帝に報告しなかったという。それほどの価値は無いと判断されてしまったのだろう。
いっぽう、現代の韓国でこの密書は、主権を守ろうとする高宗の外交的努力があらわれていると高く評価する人もいる。

 

20世紀初頭の世界は帝国主義の時代で、弱い国が強国に支配されることは当然とされ、欧米列強が作り出したそんな厳しいルールの中で、日本も生き残るために必死だった。
しかし、それはもう遠い過去の話。
現在のモロッコがフランスに、エジプトがイギリスに、そしてフィリピンがアメリカに対して、「あれは強制的かつ不当に結んだ条約だった」と主張し、認めさせようとしていない。
モロッコ人とフィリピン人の知人に話を聞くと、不幸な歴史を繰り返さないように歴史を学ぶことが重要で、今になってそれを蒸し返して相手を責めても意味はないと言う。
かつてイギリスの植民地だったインド人やミャンマー人も、未来世代の交流のためにそうしている。
140ページの記述の中で、当時は弱肉強食の国際環境にあり、モロッコ・エジプト・フィリピンが韓国と同じような経緯で保護国になったことや、そうした国が今では謝罪を要求していないことについて、一行でも書いてあるのだろうか。
日本人は韓国併合をよく知らないかもしれないが、韓国人が知らないこともきっと多い。

 

 

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3 件のコメント

  • “韓国が併合されるに至った経緯と植民地時代についての記述”この日本の教科書が小さいのではなく、韓国が多すぎるのです。
    韓国は自らの歴史を5千年(4357年)と言います。檀君神話まで歴史と見なすからです。
    そんなに長い歴史を持つ韓国の歴史教科書で半分以上が韓日併合関係を叙述しているというのはあり得ないことですよね。日本が韓国を併合して統治した期間はわずか35年です。4357年と比べるとものすごく短い期間ですよね。それなのになぜ韓国の教科書はその期間に集中するのでしょうか? それは日本に対する敵対感を植え付けるためです。日本を敵にしてこそ、北韓と民族協力をして戦えるからです。韓国内の左派の巨大な戦略の一環です。

  • 4357年の歴史の中の35年に、歴史教科書の半分以上が占められているという状態はたしかに変ですね。
    これでは一般の日本人は議論になりません。
    日本を好きな韓国人も多いのですが、歴史になるとやっぱり話は別です。
    歴史を過去の話題にすることはできず、現在の問題としてとらえるので、摩擦はつづきます。

  • 国民に分かりやすい共通の外敵を提示して、不満を外に向け、愛国心を煽るという政治手法は、かつてのナチス・ドイツと同じやり方なのですけどね。幼児教育の段階からそれを徹底して行っていれば、効果は絶大でしょう。その体制で利益を得ている人も多いだろうし。
    まあ、そのことに気づく人が増えるのを待つしかないのでしょうね。
    進む方向を正すのに決定的なタイミングを逃すことの無いよう、間に合えばいいのですが。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。