韓国滅亡への道 高宗の資質・ハーグ密使事件・日本の怒り

 

ほんじつ6月3日は、1910年(明治43年)に、「併合後の韓国に対する施政方針」が日本で閣議決定された日。
そして2ヶ月後の8月、漢城(現:ソウル)で寺内正毅統監と李完用首相によって韓国併合条約が調印され、日本は大韓帝国を併合した。

大韓帝国最後の皇帝(=朝鮮王朝の最後の国王)である純宗は、「王」の称号をもらって、昌徳宮に住んでビリヤードを打ったり、有名シェフ・吉川兼吉(帝国ホテルの初代料理長)が作るフランス料理に舌鼓を打ったりしながら、生活するようになった。
ただ、1905年の第二次日韓協約によって韓国は外交権を日本へ譲り渡し、日本の(事実上の)保護国となっていたから、純宗は名目上の皇帝に過ぎなかった。
大韓帝国の最後の皇帝は、彼の父親だった高宗とよく言われる。

 

高宗

 

高宗について韓国メディアの報道を見ると、国を滅亡させたことから、皇帝としての資質や能力に欠けていたという厳しい指摘もあれば、彼は外交努力を行い、必死に独立を守ろうとしたという同情的な見方もある。
しかし、結論としては、「韓国を侵略した日本がいちばん悪い」という点で全員一致している。

現代の韓国で高宗に対する見方は、「無能」から「悲劇の皇帝」までさまざまあり、評価は定まっていないように見える。
実際のところ、朝鮮王朝末期、彼の父親の大院君と妻の閔妃が権力争いをしていて、高宗は彼らをまったくコントロールできず、国民に大きな苦しみを与えたから、統治者としての能力は無かったといえる。

最近、ハンギョレ新聞が掲載したコラムも、彼を「能なし」と見なしている。(2024-03-08)

高宗(1852~1919)が多くの「密旨」や「別入侍」(臣下が王に密に会うこと)などで分別なく権力を行使したため、国家の公的機構はますます有名無実化した。

朝鮮はわずか「30年」で滅びた

 

高宗は自分(または目先)の利益のために、陰でさまざまな人物と秘密の約束を交わしていたらしい。
そして、それがバレて問題になると、命令を出した国王は無関係を装い、命令を行なった者に責任を押し付けた。そのため、無実の人間が処刑されることもあたっという。

高宗は自分のやりたいことをやり、困った事態になったら、他人に責任を取らせればいいと考えていたと思われる。
そんな甘い認識から、1907年にハーグ密使事件をやらかしたのだろう。
この年の6月に、オランダのハーグで万国平和会議が開催された。
それを狙って高宗が3人の密使を送り、外交権を奪った日本の“不法性”を各国に訴えたが、全ての国からスルー(拒絶)されてしまう。
第二次日韓協約は各国の理解を得て行われたものだから、これは当然の結果だった。高宗には、現実も未来もまったく見えていなかったのだ。
結果として、韓国に対する日本の管轄権が国際的に認められるという、とんでもないブーメランが返ってきた。

 

高宗&純宗

 

外交権のないはずの韓国がこんなことをするのは、二次日韓協約への重大な違反行為。
当時、韓国の政治団体「一進会」とともに、日韓の合邦運動を進めていた石田良平は、ハーグ密使事件が日本にバレた時の韓国政界の混乱について、こう書いている。

「この事実が暴露されると、韓国の大臣等は狼狽してなす所を知らず」

*ソース:「現代語訳 日韓合邦: 知られざる韓国併合の裏面史 (Kindle 版)」
以下の「」の内容もここからの引用。

 

この時ばかりは、関係ない人間を“生贄”として差し出すことはできなかった。
韓国政府は皇帝に譲位を求めることで一致し、首相の李完用が高宗に拝謁し、こう言ったという。

「ハーグ密使事件は明かに日韓新協約の違反であって、統監から重大な問責が来るであろうことは、日本の外務大臣が既に東京を出発したという報道によっても察知されます。この際、畏れ多いことではありますが、陛下が身をもって国家を救われる以外に道はないでしょう」

しかし、高宗はこれを拒否。
彼には、国家を救うことよりも大切なことがあったようだ。
かといって、韓国側が誠意を見せなければ、大韓帝国は日本に併合されるかもしれない。
それで、「各大臣が死を決して参内」し、高宗に迫ったことで、彼はようやく譲位を受け入れた。
こうして高宗はハーグ密使事件の責任を取って引退し、息子の純宗が皇帝となった。
そしてこの後、韓国統監の権限をさらに強化する内容の第三次日韓協約が締結された。
しかし、この時の日本の“怒りは”、思っていたよりもずっと穏やかだったため、韓国側は拍子抜けしたらしい。

「その条件は極めて寬大なもので、譲位に反対して京城を暴動化させた排日派ですら意外の感に打たれ、「この程度の要求ならば大騒ぎするほどでもなかった」と言い合ったくらいだった。」

そんなことを言い合った3年後、大韓帝国は日本へ併合され、滅亡することになる。このとき韓国政府内では、誰もその気配さえ感じていなかったのか。
ハーグ密使事件で自分にトドメを刺し、亡国への道を開いた事実を見るかぎり、高宗に統治者としての能力があったとは思えない。

 

 

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4 件のコメント

  • 日韓併合が善とは思いませんが、そうやって他責ばかりで思考停止させていると歴史から教訓を学べ無いんですよね。
    昨今の混沌とした世界情勢は併合前にそっくりなんですが。

    一致団結して国難に対処するより国内での陣営争いが優先。
    米中露と対立し合っている大国間で、立場を曖昧に八方美人している辺りも当時の支配層が取った行動に被りますねぇ。

  • 朝鮮王朝には計27人の王がいました。開国太祖李成桂(イ·ソンゲ)から27代純宗(スンジョン)。そのうちの2人の暴君は王位から追い出され、「君」に格下げされました。しかし、歴代最悪の君主は誰が何と言っても高宗です。
    高宗は官職を金をもらって売りました。過去にも売官がいましたが、行為の主体は役人でした。
    しかし、君主が直接官職を売ったということは、その国が滅びたということを意味するものです。そんな国が滅びなければどんな国が滅びるでしょうか?

  • 日本に併合されて、自尊心が傷ついたと思います。
    ただ、当時の朝鮮政府にはツッコミどころが多すぎます。
    亡国を繰り返さないためには、その反省も必要だと思いますけどね。

  • 高宗は自分の地位を守るために、国の利権を日本に譲り渡す「売国行為」をしたこともあります。
    それを記事にするつもりです。
    高宗は官職を売っていたということは知りませんでした。
    これも記事に書きたいと思います。
    また、有益な情報があったら、ぜひ教えてください。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。