ユダヤ人の夢は、パレスチナのナクバ(大厄災)の始まり

 

きょう11月29日は「パレスチナ人民連帯国際デー」やでー。
1947年のこの日、国連総会でパレスチナ分割決議が可決されたから、それにちなんでこの記念日がつくられた。
いま世界中の注目を集めているパレスチナ問題は、この決議案の結果からはじまったと思う。

同じ人物や出来事でも、国によって見方が一変する現象は「世界あるある」だ。
たとえば、ナポレオンはフランスでは英雄とされていても、スペイン人にとっては侵略者になる。
日本で豊臣秀吉は天下統一の英雄でも、韓国では侵略者とされているから、ナポレオンと秀吉は似ている。
こんなふうに、国が変わると評価が逆転することは世界中であるが、イスラエルとパレスチナの認識の違いはレベルが違う。
イスラエル人の長年の夢をパレスチナ人は「ナクバ」(大厄災、大惨事)と呼ぶ。
地球上でこれほど見方が違い、深く対立しているケースはまずない。

 

第一次世界大戦の後、パレスチナは戦勝国のイギリスが統治することとなる。
当初、イギリスは「心配する必要はない。大英帝国がしっかりと管理するから、この地にユダヤ人とアラブ人の国を建設し、両民族は共存していけるだろう」とカックイイことを言っていた。
*パレスチナ人とは、パレスチナに住むアラブ人のこと。
しかし、ユダヤ人とアラブ人の対立が激化し、もはやコントロール不能の状態になると、イギリスは「あとはまかせた!」と問題を国連に丸投げし、パレスチナから去った。

そして、1947年11月29日、国連総会で投票がおこなわれ、賛成が33ヶ国(72%)、反対が13ヶ国(28%)という結果になり、パレスチナの分割案が採択された。

 

国連決議によって緑がユダヤ人、オレンジがパレスチナ人の領土となった。

 

この結果に対して、ユダヤ側では多くの人が受け入れたが、アラブ側ではほとんどが否定的で、強い不満を感じた。
ユダヤ人は分割決議案にもとづき、翌1948年5月14日に新国家「イスラエル」の建国を宣言する。
それまでヨーロッパで迫害を受け続けていたユダヤ人は、やっと安住の地を手に入れ、夢をかなえることができた。が、アラブ諸国はこれを認めず、独立宣言の次の日にイスラエルへ攻め込み、第一次中東戦争がぼっ発した。

 

アラブ側の攻撃を受けるイスラエル
現在は状況が逆転している。

 

第一次中東戦争の結果は、アラブ諸国の敗北に終わる。
一方、イスラエルでは、敵対勢力を撃退したことよって脅威が軽減され、国は安定化した。
それだけで終わればよかったのに。
イスラエルはその後、パレスチナ側の広い地域を占領し、70万人以上のパレスチナ難民が発生した。
国連のパレスチナ分割決議は無意味になり、これが現在のパレスチナ問題の直接的な原因となる。

このとてつもない困難をパレスチナ側は「ナクバ(大厄災、大惨事)」と呼び、それはイスラエル独立の翌日から発生したため、5月15日を「ナクバの日」とした。
パレスチナ人にとっては「絶望の始まり」だ。
イスラエルではその前日の5月14 日を独立記念日とし、毎年この日に花火を打ち上げて盛大に祝っている。

 

世界ではナポレオンや豊臣秀吉のように、立場の違いから、見方がガラリと変わることはよくある。
でも、イスラエルとパレスチナと同じぐらい意見が違い、深い憎悪で結ばれた関係はほかにないだろう。

 

中東戦争は1973年まで4回もあり、現在ではイスラエル軍がパレスチナ人の住むガザ地区で戦闘をおこなっている。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。