【寛容と排除】日本とヨーロッパ、宗教をめぐる歴史の違い

 

いまから1600年ほど前、日本人が前方後円墳をつくっていたころ、東ローマ帝国では「エフェソス公会議」というキリスト教をめぐる話し合いが行われた。
その結果、ネストリウスの主張するキリスト教は間違った考え方であると「異端認定」される。
これによって、キリストの神性やマリアが「神の母」であることが公式に認められて、現在のキリスト教になっていく。

ウィキベテアさんが言うには、435年のきょう8月3日は、東ローマ皇帝が異端のネストリウスに国外追放を命じ、ネストリウスがエジプトへ移動した日だ。
このネストリウス派キリスト教はやがて中国にも伝わり、唐では「景教」と呼ばれた。
空海の考え方には、この景教(ネストリウス派キリスト教)の影響を受けたものがあると、どっかの歴史の本で読んだことがあるから、日本にも影響が皆無ではないかもしれない。

ヨーロッパの歴史ではこんな感じに、「正確なキリスト教の解釈」ってのがすごく重要視されていた。
それで325年には「ニカイア公会議」、381年には「コンスタンティノープル公会議」が開催され、ここでも異端と認められた考え方は排除された。
間違いをドンドンなくしていく作業を繰り返して、地上で唯一無二の存在である「ローマ・カトリック教会」の権威が確立されていく。
カトリック教会は十字軍の遠征を呼びかけるなど、ヨーロッパ世界で決定的な影響力を持っていた。
その闇歴史の代表例は「魔女狩り」。
悪魔と契約を結んだ魔女は反キリスト教的な存在とされ、15世紀から18世紀までに4万人~6万人の”魔女”が処刑されたといわれる。
といっても「悪・即・斬」ではなくて、裁判にかけたうえで処刑されなかった”魔女”もたくさんいた。
「キリスト教の正しさ」にこだわり抜いて、それと違う考え方は徹底的に排除・せん滅していたところにヨーロッパの歴史の特徴がある。

 

 

唯一絶対に正しいキリスト教を決めて、皇帝が異端を国外に追放する。
日本の歴史でこんなことは一度もなかった。
もちろん宗教対立がなかったということではない。
6世紀に朝鮮半島から仏教という新宗教が伝わると、日本の神々を崇拝する物部氏と仏教を推す蘇我氏が争ったことはある。

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でも、仏教に帰依しても神道を尊重した用明天皇のように、本来まったく違う2つの宗教に敬意をはらって、同時に信仰するのが日本人の常識になっていく。

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後醍醐天皇に仕えた南朝の重臣、北畠親房(きたばたけ ちかふさ:1293年~1354年)は、「大日本国は神国なり」で始まる歴史書『神皇正統記』に、宗教に対する天皇の望ましい態度としてこう書いた。

天皇としてはどの宗派についても大体のことは知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである。菩薩・大士もそれぞれ異なる宗をつかさどっている。またわが国の神もそれぞれに守護する宗派がある。一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。

「神皇正統記 慈円 北畠親房 日本の名著9 (中央公論社)」

 

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、浄土宗や時宗、臨済宗などの新しい仏教(鎌倉仏教)が生まれて、日本にはいろいろな仏教のグループが存在していた。
北畠親房は天皇の資質として、どの宗派についても知識を持っていて、特定の宗派を侮辱することなく、すべてを平等に考えることを挙げる。
日本の神々もそれぞれ守護する仏教の宗派があるというから、日本では仏教と神道には矛盾も対立もなかったことが分かる。
これは共存というより一体化だ。

鎌倉時代の僧・日蓮(1222年~1282年)はこれと正反対の主張をした。
鎌倉仏教のひとつ、法華宗を始めた日蓮はアグレッシブで攻撃的で、自分の考えと違う他の仏教宗派を敵視し徹底的に否定する。

四箇格言」(しかかくげん)では、

真言亡国:真言宗は亡家、亡人、亡国の法である。
禅天魔:禅は悪魔のすること(天魔の所業)である。
念仏無間:念仏は無間地獄への法である。
律国賊:律宗の僧は人を惑わし、国を亡ぼす国賊である。

とボロクソ言って、自分の説く法華宗だけが正しい教えだと日蓮は訴えた。
鎌倉幕府は、こんな過激なことを言って世の中を乱す日蓮を問題視し、彼を罪人として捕まえて伊豆に流したり、斬首したりしようとする。
他の宗派を否定し攻撃する、日蓮のような排他的な考え方は日本の価値観とは合わない。
歴史を見ると北畠親房のように、どの教えも等しく尊重して、国家の乱れを未然に防ぐという考え方が支持されている。
これは令和の日本人も同じだ。
いまの日本にいるほとんどの人が宗教には寛容であるべきで、違いをめぐって争うことは心底バカらしいと考えていると思う。
このへんは、公会議を何度も開催して異端を見つけて排除したり、裁判で”魔女”という反キリスト教的な存在を見つけて抹殺していたヨーロッパの歴史とはまったく違う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。