きょう7月25日は、306年にコンスタンティヌス1世がローマ皇帝になったとされる日。
日本では弥生時代に女王・卑弥呼が活躍した100年ほど後、ヨーロッパではこんな出来事があったらしい。
残念ながら、この時代の日本人は文字を使っていなかったから、卑弥呼はどんな人物だったのかなど弥生時代のくわしい生活は分かってない。
それが分かっていれば、現代の「邪馬台国はココだ!」論争はなかった。
対してヨーロッパには文字があったから、この時代にコンスタンティヌス1世とかいう英雄が現れ、バラバラ状態だった帝国を再び統一して、元老院からマクシムス(大帝)の称号を与えられたということが分かっている。
コンスタンティヌス1世は初めてキリスト教を信仰したローマ帝国の皇帝で、その後のヨーロッパの社会や歴史、キリスト教の発展に重大な影響を与えた。
313年に、帝国内で初めてキリスト教を公認する「ミラノ勅令」を出したことでも知られている。
そんな功績からローマ・カトリックや正教会など、複数のキリスト教のグループ(教派)でコンスタンティヌス1世は聖人認定されている。
いまのトルコの都市・イスタンブールの前身である「コンスタンティノープル」の名前はこの偉大な皇帝にちなんでつけられた。
*コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)とは「コンスタンティヌスの町」の意。
そう言えばきょう7月25日は、1261年にニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪い返して、東ローマ帝国を復活させた日でもある。
コンスタンティヌス1世はヨーロッパのキリスト世界の原点を築いた人物で、日本では世界史を選択した高校生が必ず覚えないといけない人。
コンスタンティヌス1世がつくった公衆浴場
古代ローマの人たちはいまの日本人と同じように温泉が好きだった。
コンスタンティヌス1世のような人物を日本の歴史で探すなら、それは6世紀の第31代天皇「用明天皇」でしょ。
この天皇は聖徳太子(厩戸皇子)の父親としても有名だ。
先代の敏達(びだつ)天皇のとき、朝鮮半島の百済から仏教(仏像)が伝わると、この新宗教を受け入れるべきかどうか朝廷内で争いが始まった。
「仏教を信仰しようぜ」と蘇我氏が言えば、「日本の神が怒るからやめとけ」と物部氏が主張し、両者の対立はエスカレートする。
それで欽明天皇は「お試し期間」として、とりあえず蘇我稲目に仏像を預けて礼拝させると、疫病が流行したから、仏像は捨てられて仏教はNGとなる。
これがいわゆる「崇仏論争」だ。
蘇我稲目の孫でもあった用明天皇は敏達天皇とは違い、「仏法を信けたまひ、神道を尊びたまふ」と仏教も大切にし、日本で初めて仏教を公認して自分も信者になった。
これで日本の方向性が示されたわけだ。
その跡を継いだ日本初の女性天皇「推古(すいこ)天皇」の時代、甥(おい)の聖徳太子が四天王寺や法隆寺を建てるなどして仏教が盛んになっていく。
初めて仏教に帰依した天皇で、日本版・ミラノ勅令(仏教公認)を宣言したという点で、用明天皇はローマ帝国皇帝のコンスタンティヌス1世と重なる。
でも、いまの日本で用明天皇の知名度は、おそらく養命酒より低い。
きょう7月25日は1593年に、フランス王アンリ4世がプロテスタントからカトリックに改宗した日でもある。そしてアンリ4世は1598年に、近世ヨーロッパで初めて個人の信仰の自由を認める「ナントの勅令」を出した。
これはフランスの歴史では決定的に重要な出来事だ。
用明天皇の知名度が残念なことになっているのは、日本の歴史は、ヨーロッパほど宗教の影響が強くなかったからだろう。
日本で「大帝」と呼ばれた天皇は明治天皇ぐらいでは?
用明天皇
ヨーロッパなら「用明市」ができたり「聖人」になってるレベル
【欧州と日本の違い】神道が仏教に“ハイジャック”されなかった
コメントを残す