ヨーロッパ人が思う神道とキリスト教の違い:神・聖人・奇跡

 

日本の大学で学んでいるロシア人と東ヨーロッパのリトアニア人と一緒に、神奈川県にある金時山へハイキングに行って、日本や母国のことについていろいろと話をしたので、これからそのとき聞いた話を書いていこう。の第7弾。

いままでの記事はこちら。

ロシア人とリトアニア人から聞いた日本の話①秋田・アニメ・水

ロシア人とリトアニア人から聞いた日本の話②宗教・お茶・花

ロシア人とリトアニア人から聞いた日本の話③山修行・アニメ

ロシア人とリトアニア人が見た日本④富士山・瞑想・外人料金

ロシア人とリトアニア人から日本の聞いた話⑤峠・人形・国民食

ロシア人とリトアニア人の話 ⑥ 日本の信仰・願いごと文化

 

とりあえずリトアニアとロシアの位置だけ確認しとこうか。

 

 

 

 

こんな素晴らしい富士山を拝んだあと、一路下山。

金時山はむかし金太郎が住んでいて、クマと相撲をとったり走り回って体を鍛えたといわれる伝説の山。
そんな山を下っていくと、とんでもない怪力の持ち主・金太郎が一刀両断したという巨石を発見。

 

いまごろはキメツの聖地として認定されてるかも。

 

金太郎の「超人伝説」を示すこの石は、しめ縄が示すようにご神体となっている。

キリスト教(カトリック・東方教会)の文化圏にあるリトアニア人とロシア人の話だと、石を人が触れてはいけないような神格化する発想はキリスト教にはない。
この石をふくめて、川も山も自然界にあるものすべては神が創造したものだから、その考え方からすると、巨石が真っ二つになったのも理由は分からないけど神の意思になる。

ということは、日本では金太郎や桃太郎といった悪を倒す正義のヒーローは神意と関係なく登場するけど、キリスト教の考え方ではそれも神の意思によるものなのか?
ときくとその通りで、超人的な力を持って悪を滅する人間もまた神によって意図的に創造されるという。
たしかに「神に選ばれた勇者」という響きは、どう聞いても日本昔ばなしではなくて西洋の物語だ。

ちなみに、ヨーロッパにもヘラクレスのようなすさまじい力を持ったヒーローがいたのでは?と思うのだけど、それはキリスト教の前、ギリシャ神話の時代の話でリトアニアやロシアには関係ないらしい。
まーそうですね。
「西洋」でひとくくりにしてはいけなかったか。

 

さて、ふもとには金太郎のモデルになった平安時代の武士、坂田公時(さかたのきんとき)を祀る「公時神社(金時神社)」が待っていた。

 

 

 

化け物とたたかう源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)

 

神社の境内にあったまさかり。

 

神道では、坂田金時レベルの人物になると神になって神社で祀られて、さらにアニメやマンガのキャラクターにもなる。
彼らにそんな話をすると、キリスト教ではどんなに素晴らしい、すごい能力をもった人間でも神になることはあり得ず、ここが多神教の神道とは決定的に違うと言う。

 

でも、人は神になれないけど、人以上の尊い存在になることはできる。それが聖人。
キリスト教の教えに沿ったとても立派なおこないをした人間は聖人として人びとから尊敬され、その像が教会に飾られることはよくある。
このロシア人・リトアニア人からすると、偉人や超人が神になるという神道の発想をキリスト教に当てはめると、聖人がそれにいちばん近い。

ちなみにリトアニア人とは京都旅行に行ったことがある。
彼はそのときも菅原道真を祀る北野天満宮を見て回って、実在した人物を「学問の神」にして人びとが敬意を示す様子は、カトリック信者が聖人を敬う姿に似ていると思ったらしい。

ただキリスト教では人と神には一線があって、そのラインは絶対に超えられない。
神は崇拝の対象だけど、聖人には敬意以上の気持ちはなく、日本人からは「同じように見える」と言われることもあるけど、神と聖人では性質がまったく違う。

日本でも有名なキリスト教の聖人には、バレンタインデーの由来となったといわれる3世紀ごろの聖職者「ヴァレンティヌス」、サンタクロースの起源という聖職者「ミラのニコラオス」なんかがいる。
教師の聖人(守護聖人)にはジャン=バティスト・ド・ラ・サールがいるから、日本の菅原道真公に近いのはこの人物かも。
マザーテレサなら神道では神になれるかもしれないけど、キリスト教では聖人が限界だ。

 

キリスト教で聖人認定されるためには、とても高いハードルを越えなければならず、「高い分くぐりやすい」という抜け穴的発想はダメで奇跡が必要になる。

イエス=キリストの生涯には、死者を復活させたり殺されても復活したといった不思議なことが起きたと聖書にあり、聖霊の力を使えば人間でもミラクルを起こせるという考え方がキリスト教にある。

人間にはできないことをするために聖霊が遣わされ、その人の救いのために必要な行い(すべきことやしてはならないことなど)を示す、との教えがある。

キリスト教における奇跡

 

ある人物が聖人と認められるには、その生涯で奇跡を起こしたという条件をクリアーしなければならない。
マザーテレサの場合は、脳腫瘍に苦しむブラジル人男性を回復させたという事例が奇跡と認定された。

日本の神道でも、坂田金時のような想像を超えた猛者とか、雨を降らすなどした人は“神”となって祀られることはあるから、発想としては共通している。
人の能力を超えた奇跡的なことができる人間がいたら、死後、その人を尊敬し奉ってそのパワーにあやかりたいと思う気持ちは世界中にあるはずだ。

 

これも奇跡と認定されるか?

 

 

仏教 目次

キリスト教 「目次」

イスラーム教 「目次」

ヒンドゥー教・カースト制度 「目次」

日本人の宗教観(神道・仏教)

外国人には不思議な日本人の信仰「宗教はファッションだ」

 

2 件のコメント

  • > キリスト教では人と神には一線があって、そのラインは絶対に超えられない。(改行)神は崇拝の対象だけど、聖人には敬意以上の気持ちはなく、日本人からは「同じように見える」と言われることもあるけど、神と聖人では性質がまったく違う。

    まあでも、キリスト教こそが神の元での「人類の平等」という思想を生んだものであることは、評価しますが。

  • 足柄峠(足柄城址)と十国峠は昔は良く写真撮りに行った。
    後は演習場か。朝方に撤収する時に何度か演習に向かう戦車も観たっけな

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。