日本ほどの宗教大国は世界でもまれ。
なんせ1億2600万人の人口に対して、宗教人口は1億8000万人以上なのだから。(by 文化庁)
これはつまり、日本人の多くが神道と仏教の両方を信じているということになる。
それもきっと「あえて言うなら」で、実際には「無宗教ですけど、それが何か?」と答える人が一番多いだろう。
中国メディア「今日頭条」からすると、日本人の神道信仰はこう見えるらしい。
サーチナの記事(2019-09-10)
信仰というより宗教が生活の一部になっており、島国で昔から災害の絶えなかった日本では、災害の起こりやすい水辺や火山付近に神社があることが多く、国民を引き付けるために政治にも利用されてきたと伝えた。
日本人の宗教観は不思議! そして神道は「不遇すぎる」=中国メディア
中国メディアの分析について日本のネットの反応は?
・日本人の大半は楽しければいいやイベント教の信者でしょ
・宗教は日本ではファッションだよ
コーデも自由自在
・手水のやり方も、祀られてる神様すら知らない人ばっかだからな
・どんなものにでも神さまが宿っているっつー考え方はすごい
全知全能の神が唯一絶対みたいな考えは傲慢で悲しい気持ちになる
・昔の日本の戦艦には神社があったんだよね。
それ知ったらびっくりするかな。
イベント、ファッション、どんなものにでも神が宿るというように、日本人にとって神道(宗教)は生活の一部になっているという指摘に異論はなさそうだ。
上の記事でも、お盆には墓参りをして年末にはクリスマスを祝い、その一週間後には初詣に行く日本人の「不思議な実態」を紹介されている。
クリスマスがキリストの誕生日というのは知っているけど、お釈迦様の誕生日は知らない日本人も多い。
ベトナム人の仏教徒にとってその日は大事な日で、浜松のベトナム人がお寺に集まってお祝いをしていた。ボクも仏教徒だと言うと歓迎してくれて精進料理を出してくれた。
いまの中国人は日本人の宗教観を不思議というけれど、日本人が宗教というものを学んだのは中国(唐)からだった。
遣唐使が中国で習って持ち帰った仏教というのは儒教・道教の要素が入り混じったもので、日本人はそれを「宗教」と理解して受け入れた。
日本が仏教を輸入したころの唐は、仏教中心の三教合一論(儒釈道合一論)が主流になっていくころであった。紀元七〇年に中国に入って来た仏教は、中国の伝統的な思想との間でさまざまな問題を生じつつ、長い歴史的経過を経て一応、三教合一論という形に落着き、やがて唐は政策的な面からもこれを〝 国教〟のようにする。
「一九九〇年代の日本 PHP文庫 (山本 七平)」
この時代の日本にとって中国は先生。
中国の三教合一思想から神道・儒教・仏教の三教合一論がうまれて、「以後の日本の宗教的伝統の基本となった」と評論家の山本七平氏は指摘する。
中国の「三教」思想が日本にあたえた影響は、空海が記した「三教指帰」(さんごうしき)からもうかがえる。
この本は朝廷に献上され、多くの貴族によって読まれていた。
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以前、社会人に英語を教えていたイギリス人が生徒にこんな質問した。
*生徒の数は3人ぐらい。
「初詣には神社に行くのですか?それともお寺?そもそも初詣は神道・仏教どっちの行事ですか?」
このときの日本人の答えをまとめるとこんな感じ。
「初詣はもともとどっちの行事だったのか分からない。いまは神道と仏教が入り混じっているから、行くのは神社でもお寺でもいい。距離とか買いたいお守りとか、あとみんなの意見で決める」
生徒たちには初詣が宗教行事という認識はあったけれど、何の宗教に由来するのかは知らなかった。
みんなで話して決める、というイベント感覚だ。
でも、これが平均的な日本人だと思う。
そのイギリス人の感覚からするとこれが不思議。
イギリスにはキリスト教徒、イスラーム教徒、ユダヤ教徒などいろんな信者がいて、いろんな宗教行事が行われるけど、やっている本人が何の宗教かよく分からないというのは考えられないと言う。
無宗教の日本人にとって初詣は宗教行事ではなくてイベントだから、細かいことを気にする必要はない。
*「自分は仏教徒だから神社には行けない」と言う人もいたけど、これは例外的。
ファッションで服や靴を選ぶように、そのときの気分でどこのお寺や神社に行くか決めることができるし、なんなら両方行ってもいい。
日本の仏教には浄土宗、曹洞宗、臨済宗などいろいろな宗派があるけど、初詣で自分の宗派を気にする人に会ったことがない。自分の宗派を知らない人もいるだろう。
お盆は少し違うけど、初詣・クリスマス・ハロウィンはイベント感覚だ。
神儒仏の三教が仲良く存在するという日本の伝統的な宗教観のうち、いまは儒教が抜けてキリスト教が入り、“神仏キの合一思想”になっている。
そんな宗教観が生活の一部になっているから、外国人からは不思議がられるし、人口1億2600万人の国に1億8000万人以上の宗教人口がいるというデタラメな状態もうまれる。
ジョークでありましたよね。
日本は神秘の国である。
神道の信者が約1億2千万人、仏教徒が約9500万人、そして「あなたの宗教は?」との問いに、約半数が「無宗教」と答える。
では、日本の人口はどれくらいか?
約4億人?
驚くなかれ、日本の人口は、約1億3千万人なのである。
あなたはこのミステリーを信じることができるだろうか?
関裕二という方の本によれば、戦後日本人は無宗教になったのではなく、科学という宗教の熱心な信者になったのだといいます。
結局実利主義というか、今と未来の自分達の役に立つかどうかが重要なんですね。
けっきょく日本人は宗教に関心がないから、深く考えていない。
だから何か聞かれたら場当たり的なことを答えるから、いろんな矛盾が生じるのでしょう。
神道や仏教についてくわしく知らなくても生活で困ることはありません。
知識がないのは必要がないからで、ある意味、宗教の争いのない平和な証拠です。
江戸時代に仏教を薬に例えた僧がいました。
神道でも仏教でも役に立つものを自分で選択してつかえばいい、と。いまの日本人も同じ考え方だと思います。
日本人は”自称”無宗教ですね。
なぜなら、元日に初詣に行き、葬式・法事は仏教式で行い、ハロウィンやクリスマスを日本独自の方式で楽しんでいます。
それと日本人は決して無神論ではなく、むしろ神を信じており、何しろ普通の学生が神になるアニメもあるくらいです。
また、日本人は愛国心は薄いが自国が一番好きであります。
それもひとつの見方ですね。
日本人は、神を利用し、他の世界は神の奴隷になっている。神は本当に人間を奴隷にしたいのか。それならばローマの様に、奴隷に戦わせ楽しんでいることも納得できる。
日本人て偉大ですね。