もし日本にいる外国人から、「今度どこかに連れて行ってほしい」と頼まれたら、それはとても日本的な場所でもいいし、母国にはないところでもいい。
ロシア人とリトアニア人ならきっと山がいい。
ことし3月にロシア人女性とリトアニア人の男女、計3人と一緒に神奈川県にある金時山へハイキングに行ったら大正解で、山に登る途中の景色も頂上から見える富士山もみんなすごく気に入っていた。
ということでこれから、このとき彼らから聞いた話を書いていこう。の第6弾ですよ。
これは今後の記事のための自分用のメモなので、その点はご承知おきを。
いままでの記事はこちら。
下の地図だと北海道の左にリトアニア、上にペテルブルグ(今回のロシア人の出身地)がある。
このへんの大地は真っ平で山らしい山がないから、3人にとって登山はけっこうレアな経験ですごく楽しんでいた。
リトアニア人の感覚だと50mの高さでも、それは「山」になるとか。
山頂で日本のシンボルを満喫したあと一同下山。
こんな山道を下っていると、リトアニア人の男性がスリップして転びそうになる。
「ああっ!」と叫んだ彼に彼女が笑いながら声をかけたリトアニア語の中で、「カルマ」という言葉が聞こえた。
カルマ?
カルマというのは仏教の思想で、前世で行った良い行為・悪い行為は生まれ変わっても引き継いで、その結果として現世があるという因果応報の法則のこと。
前世で良い行いを積み重ねたら、それに応じて現世で恵まれるという伝統的な考え方は、日本や東南アジアの仏教国に共通していて、「あの人が金持ちの家に生まれてきたのは、前世で良い行為をしたから」という話はタイ人やミャンマー人から何度も聞いたことがある。
でも、キリスト教(カトリック)文化圏のリトアニア人がこんな仏教思想を気軽に口にするというのは意外で、話を聞いてみたら、いまヨーロッパで「カルマ」という言葉は一般的になりつつあるらしい。
でも、前世と現世のつながりというシリアスな意味ではなくて、「ここ最近で何か悪いことをしたから、いま足をすべらせた」というライトなもので、日本人の感覚だと「それはアンタの日頃の行いのせい」といったものだろう。
カルマとは違うけど、「良いこと・悪いことをしたら、その結果が返ってくる」という考え方はキリスト教にもあると、リトアニア人がおばあさんから聞いた話をする。
第二次世界大戦中、リトアニアがナチス=ドイツに支配されていたとき、そのおばあさんは毎日神に祈っていたけど、ある友人からは「神とナチスは関係ない。そんなことをしても無駄だ」とバカにされた。
でもそう言った友人はそのあとナチスに殺されて今はいないけど、自分はいまも生きている。
カルマという因果の法則とは違うけど、信仰によって助かるという考え方ならカトリックにもあって、ロシア人がロシア正教会(ロシアのキリスト教)でもそれは同じだと言う。
金時山は金太郎が熊と相撲をとっていたという伝説の山で、ふもとには金太郎の神社がある。
リトアニア人が絵馬の裏の日本語を見て「これは何て書いてあるんだ?」と聞くから、病気の治癒や恋愛ごと、試験の合格といった願いごとが書いてあると説明したら、「そこがわたしたちの文化と違う」とロシア人が横から口をはさむ。
「ロシアでは願いごとを秘密にするけど、日本ではこの絵馬のように誰がどんな願いをしたのかわかる」と日本との考え方の違いを指摘すると、リトアニア人もロシア人に同意見でもし自分の願いが他人にバレたらそれはかなわないという。
願いごとは公開するか、内緒にするべきか?
後悔のないほうを選べばいい。と何かうまいことを言った気になってみる。
それとこのときロシア人から、「なんで“馬”なのか?」という質問を受けたから、大体こんな説明をしておく。
馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった。
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>「ロシアでは願いごとを秘密にするけど、日本ではこの絵馬のように誰がどんな願いをしたのかわかる」と日本との考え方の違いを指摘すると、リトアニア人もロシア人に同意見でもし自分の願いが他人にバレたらそれはかなわないという。
キリスト教における神様への願い事の伝達方法は、「懺悔」と同じですね。自分の心の奥底からの本当の気持ちは神様だけに伝えるべきものであり、例外的にそれを仲介してくれる「聖職者」として神父が存在する。願い事も、懺悔(後悔していることを白状し反省する)も、なんだか日本の神道に暗べて陰湿な感じだなぁ。いかにも教会内部の薄暗くて荘厳な雰囲気にふさわしいやり方だと思う。
神道では、願い事や祝い事の方法は昔から「祝詞」であり、公の場で高らかに謳い上げるべきものです。声に出して周囲の皆に伝えてこそ、神様の耳にも届くのです。なぜなら、八百万の神は天上に鎮座しているだけでなく、そこかしこに存在するからです。また、声に出して発した言葉は往々にしてそのまま生じる、すなわち「言霊」による効果も期待できます。
ただし、日本では、相手の名前を声に出して呼ぶことはタブーです(これも欧米とは反対の考え方)。なぜなら、相手の名前を呼ぶことは、そのまま相手の自由を奪い支配してしまうことであり、恋愛を成就させたり、呪いをかけたりする効果があるからです。これも「言霊」の使い方です。
たしかに懺悔と祝詞の考え方が違いの根底にあるかもしれませんね。
余談ですが…さすがにリトアニア人でも、天保山は山とは思わないでしょうか。標高4.53mです。
海遊館のある所と言えばわかるでしょうか。オレもあの周辺は何度も行ったことはありますが、むしろ海、港のイメージで山とゆう感覚はありません。
海遊館には行ったことがあって、天保山という地名も知っていましたが、あそこが「山」とは思いませんでした。
むかしそういう山があったのかと。
あそこはリトアニア人でも山ではないでしょうね。
あれぐらいの高低差なら浜松にいくつもありますし。