インドにカースト(ヴァルナ)制が生まれた理由。今も続く理由。

 

インドのヒンドゥー教には、4つのカースト(ヴァルナ)がある。

「バラモン」「クシャトリア」「ヴァイシャ」「シュードラ」の4つ。
そのことは中学校の授業で習ったと思う。

では、その4つの身分がどのようにして生まれたか?
そこまでは知らない人が多いと思う。

ということで、今回の記事ではそのことを書いてみたい。
4つのカーストが誕生した理由について。

 

インドは広い。
東西のヨーロッパを合わせた広さとだいたい同じ。

 

ヒンドゥー教には「マヌ法典」という聖典がある。

マヌ法典

前200頃~後200頃にまとめられたインドの法典。
人類の始祖マヌが述べたといわれ、各ヴァルナの権利や義務が規定されている。
インド・東南アジア社会の形成に大きな影響を与えた

(世界史用語集 山川出版)

 

ここに「インド・東南アジア社会の形成に大きな影響を与えた」と書いてある。
このマヌ法典は、インドだけではなくてアンコールワット時代のカンボジアや今のタイにも影響を与えている。
これを読むとインドや東南アジアの考え方が見えてくる。

 

以前テレビ番組で、日本にわくしい外国人がこんなことを言っていた。
日本人を理解するためにもっとも役立った本は、「古事記」だと。
その国で1000年以上読まれているような古典を読むと、その国の価値観や考え方が分かる。

 

 

このマヌ法典というのは、ヒンドゥー教徒にとってとても大事で神聖なもの。
このマヌ法典に4つのカーストが生まれた由来が書いてある。

下のマヌ法典に出てくる「ブラフマン」というのは、ヒンドゥー教の最高神のひとつで「創造の神」のこと。
*ヒンドゥー教には、ブラフマン(創造)・ヴィシュヌ(維持)・シヴァ(破壊)の3つの最高神がいる。

威光燦然たるかの者(ブラフマン)は、このいっさいの創造を守護するために(彼の)口、腕、腿および足から生まれた者たちに、それぞれ特有のカルマを配分した

(マヌ法典 中公新書)

 

このブラフマンの口から生まれた者が「バラモン」になる。
そして腕から生まれた者が「クシャトリア」、ももから生まれた者が「ヴァイシャ」、足から生まれた者が「シュードラ」になる。

 

話が少しそれる。
じつはこれ、伊勢神宮にいらっしゃる天照大神(アマテラスオオミカミ)が生まれたときと似ていないこともない。

古事記によれば、伊弉諾尊(イズナギノミコト)の左目から天照大神が生まれたことになっている。
ちなみに右目から月読命、鼻からは建速須佐之男命が生まれたと書かれている。
下の文の「化生」は、「生まれた」ということ。

古事記とマヌ法典には通じるものがあるのかもしれない。

 

 

マヌ法典の続き。

バラモンには、(ヴェーダの)教授と学習、供養、供犠の司祭、贈物をすること、贈物を受け取ることを配分した

クシャトリアには、人民の守護、贈物をすること、供犠、(ヴェーダの)学習、感官の対象への無執着を結びつけた。

ヴァイシャには、家畜の保護、贈物をすること、供犠、(ヴェーダの)学習、商いの道、金貸し、農耕(を配分した)。

シュードラには、主にただひとつのカルマしか命じなかった、上述のヴァルナに対して嫉妬することなく奉仕することである

(マヌ法典 中公新書)

 

シュードラに対するカルマがひどい。
「主にただひとつのカルマしか命じなかった、上述のヴァルナに対して嫉妬することなく奉仕することである」って。
だからシュードラ(奴隷)なんだろうけど。

とにかくマヌ法典には、「4つのカースト(ヴァルナ)は、ブラフマンという神の体から生まれた」ということが書いてある。

 

ちなみに、マヌ法典の前の時代につくられたバラモン教の聖典「リグ・ヴェーダ」では内容が違っている。
リグ・ヴェーダでは、ブラフマンではなくて「原人プルシャ」になっている。
そして、「原人プルシャ」の口からバラモンが生まれ、腕からクシャトリアが、腿からヴァイシャが、足からシュードラがそれぞれ生まれている。

マヌ法典は原人プルシャがブラフマンに置き換わっただけで、基本的な考え方はリグ・ヴェーダと変わっていない。

リグ・ヴェーダ

前1200~前1000年頃に成立した、最古のヴェーダ。太陽などの自然を神格化し、その神々に捧げた讃歌集

(世界史用語集 山川出版)

 

この「ヴェーダ」と言う言葉は、「知恵」とか「知識」という意味になる。
バラモン教には4つのヴェーダがある。
日本ではこの中の「アーユル・ヴェーダ」が有名。

 

 

とにかく、こうして4つのカーストが生まれている。

ここでやっかいなのは、このマヌ法典がとてもとても神聖なものだということ。
「人類の始祖マヌが述べたといわれた」とされているものだから、後の時代の人間が勝手に内容を変えることができない。

「この考えは今の時代とは合わない。内容を変えてしまおう」なんてことは、絶対にできない。
これは、キリスト教の聖書やイスラム教のクルアーン(英語だとコーラン)もまったく同じ。
神聖にして不可侵。
人間がその内容をいじることは不可能。

 

マヌ法典に書かれていることは絶対。
その教えを守って伝え続けていくことが大事で、ヒンドゥー教徒の義務でもある。

マヌ法典とは別に、ヒンドゥー教には「マハーバーラタ」という聖典もある。
このマハーバーラタには、カーストを固定化するような記述がある。
「ヒンドゥー教徒だったら、自分のカーストの絶対に守らないといけない」
「カーストの義務は果たさないといけない」
といった内容のもの。

このあたりのことに興味がある人は、ぜひ、マハーバーラタを読んでください。
でもこの本はとても長い。
だから、「ヴァガヴァッド・ギーダー」という章だけを読んでもいいと思う。

 

彼らはインドにいるチベット仏教の子どもたち。
カーストは関係ない。

 

まとめ

マヌ法典やヴァガヴァッド・ギーダーといったヒンドゥー教の聖典に、カーストが生まれた理由やそれを守る義務が書いてある。
それは神聖なもので、人の手で変えることができない。

それを守り続けることがヒンドゥー教徒としてもっとも大事な義務だから、時代がかわってもこのシステムは変わらない。
このことが現在でもカーストが続いている一番大きな理由だと思う。

 

おまけ

この記事で、ヒンドゥー教には、ブラフマン(創造)・ヴィシュヌ(維持)・シヴァ(破壊)の3つの最高神がいると書いた。
このシヴァが日本の大黒様になっている。

上がシヴァ神

 

それが日本でこんな大黒様になった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。