はじめの言葉
「あなたはチベットに行かれるそうだがどういう方法で行かれるか。チベットへ行くのは非常の困難だ。福島さんでさえダージリンまで行かれてどうしてもチベット行は非常の困難だといって帰られたくらいだから、むろん駄目なことである。まあ軍隊を率いて行くかあるいは乞食になって行かれるか、どっちか知らんですが一体どういう風にして行かれるのか?(チベット旅行記一 川口慧海)」
川口慧海(えかい)は、ボクが尊敬するバックパッカー
河口慧海
1866~1945 仏教学者・探検家。
1900年、密入国して日本人として初めてチベットのラサに入る。チベット仏教紹介は世界的な業績とされる。「日本史用語集 山川出版」
「バックパッカー」なんて呼んだら、失礼なレベルの人。
大学生のときから今までの約20年間で、東南アジア、南アジア、東アジア、中東、西アフリカの26の国や地域に旅行をしてきたことがある。
この数が多いか少ないかは、見る人によって違うと思けど、ボクの周りでは断トツに多い。
そして、ときどき友だちから、こんな質問を受ける。
「外国に行って何か変わった?」
来たな、って思う。
帰国してから、仕事を辞めたというような人生が変わるような変化はないけど、価値観や考え方は確かに変わった。
でも、どんな変化かは、簡単には説明できない。
これが旅行ではなく留学であれば、説得力のある答えを返すことができる。
「行く前はトーイックで300点だったのが、今は800点になった」と、数字で示せる答えであれば分かりやすい。
「価値観」は、このような数字で表すことはできないから、難しい。
ボクが今までに行った国や地域の数なら数字で答えることはできるけど、そんな数を聞いて喜ぶ人がいるとは思えない。
「海外旅行で何か変わりましたか?」と聞く人は、「旅には人を変える『何か』があるかもしれない」という考えを持っているのだと思う。そして、旅行者に話を聞けば、その「何か」を知ることができるかもしれない、という期待があるような気がする。
そう考えると、ボクも、「その期待に応えないといけない」という義務のようなものを感じてしまうが、何かそれらしいことが言えないのが心苦しい。
以前は、「旅行前に比べて、旅行後には、そういう質問をされることが多くなった」と、茶化した答えを返すことがあったが、友だちがなくなりそうになったから、もうこんなふうには答えない。
ただ、自分を変える手段として「海外へ行く」ことを考える人は多いと思う。
「自分探しの旅」という言葉もある。失恋や人生の転機に、日本とは違った環境に身を置いて、自分を見つめ直す人もいる。
そして、数ある外国の中でも、特に、インドには「行けば人生を変える特別な国」というイメージがあると思う。
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