ほんじつ2月8日は「針供養」をする日。
折れたり曲がったりして使えなくなった針はこの日に供養して、お寺や神社に納めるのが日本の古来からのお約束。
中国に起源をもつと言われるこのイベントには1000年以上の歴史があるのだ。
平安時代に清和天皇によって針供養の堂が法輪寺に建立されたとされているので、9世紀後半には日本(のごく一部に)に針供養の風習があったことは確実と考えられる。
柔らかい豆腐に針を刺して供養する(浅草寺の針供養)
画像:hiro_y
日本人は身の回りにあるいろいろな物に感謝の気持ちをもっていて、『終わり』がくるとそれに手を合わせて送り出す。
ネットで探すと針供養のほかに、免許供養や靴供養、箸供養なんかが出てくる。
用済みになった物を「イラネ」と捨てるのではく、ちゃんと供養するのは、日本人が物に魂の存在を感じたり信じているからだ。
物に霊魂が宿るというこんな日本人の信仰は海外ではあまりないらしく、知人のカナダ人・タイ人・中国人は『メガネ供養』を知っておどろいた。
「長年使ってきたメガネに感謝する気持ちは分かる。でも、お寺や神社で手を合わせたり、僧侶が山積みのメガネにお経をよむという発想は理解できない。でも、日本人らしくてとても面白い」というカナダ人の感想は多くの外国人に共通していると思う。
こういう背景をもっているから、日本にはモンスターともゴーストとも違う「妖怪」という独特の存在がいる。
海外ではこれを、どのようなものとみているのか?
外国人がものごとを調べるときに、最も多く参照するのは英語版ウィキペディアだろう。と思ってのぞいてみると、そこには「妖怪」の項目がつくられていてこんな説明がある。
According to Japanese ideas of animism, spirit-like entities were believed to reside in all things, including natural phenomena and objects.
日本のアニミズム信仰によれば、自然現象や物体をふくむすべてのものに霊魂のような存在があると考えられていた。
イグザクトリー。
針供養には針に宿る魂に感謝する意味があるし、最後にポイ捨てするとか粗末に扱うと、針の魂が怒って妖怪になることを昔の日本人が恐れたのだろう。
*妖怪には他にいろんな種類があるので、くわしいことは妖怪をクリック。
英語版ウィキペディアで紹介されている、物が妖怪になった例
提灯お化けは日本でも有名だ。
でも、下の妖怪『鳴釜(なりかま)』はけっこうマイナーでは。
どちらも『百鬼夜行絵巻』に出てくるガチの妖怪。
釜(かま)を焚いたときの音で吉凶を占う神事、鳴釜神事(なるかましんじ)がこの妖怪の元ネタとされる。
動画はここ。
アメリカ人やヨーロッパ人のキリスト教徒文化圏、インドネシアやトルコなどのイスラーム教文化圏の外国人から聞いた話では、両宗教は一神教だから、ゴッド(アッラー)と関係ない存在は歴史のなかで排除されてきた。
物には霊魂が宿っていて、それが何かの条件で妖怪になるというアニミズム的な発想は、キリスト教やイスラーム教の教えと矛盾するから、日本のような妖怪や物の怪はいないのだろうと言う。だから興味深い。
天使や精霊などそれぞれの宗教で存在を認められたものはOKだ。
歴史的・伝統的には一神教とほとんど無縁だった日本には、妖怪というとてもユニークな文化があった。
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