7月7日は七夕の日。
それは織り姫とひこ星が年に一度だけ、会うことが許されたロマンティックな日。
古代中国では服を作ることが上手だった織り姫にあやかって、この日には女性が手芸の上達を願う祭りを行っていた。
それが日本にも伝わり、奈良時代には宮中で行われるようになる。
くわしいことは「乞巧奠(きこうでん)」で確認されたし。
そんな行事を行って服作りの技術を磨きつつ、長い歴史の中で日本人が築き伝えてきた文化が浴衣だ。
平安時代にはいまと違って、お湯を張った湯舟に入る習慣はなく、サウナのような蒸し風呂に入ることが一般的だった。
もちろんこれは庶民ではなくて上級国民(貴族)の話。
そして身体があったまったところで部屋を飛び出して、凍った川へ飛び込んだ。という現代のフィンランド人と同じことをした平安貴族もいたかもしれない。
この時代の日本人は入浴するときには裸体を隠したり、やけどを防止するといった目的で湯帷子(ゆかたびら)を着ていた。
江戸時代には裸でお湯の風呂に入ることが当たり前になり、そのあとに肌の水分を吸い取らせるために湯帷子を着るようになる。
これがいまの浴衣になったといわれる。
江戸時代に日本で木綿が普及すると、麻織物に代わって、より吸水性の高い綿織物の着物が用いられるようになり、現代の浴衣へとつながることとなる。
1960年代の浴衣姿
いまも日本人がよく着るこの伝統衣装、外国人の目にはすごく新鮮に映ることが多い。
知人のアメリカ人女性がマクドナルドで食事をしていたら、下駄のカラカラという音といっしょに浴衣姿の男女がやって来て近くに座った。
それが印象的だったらしい。
ボクと会ったときに、「マクドナルドで民族衣装を着た人がハンバーガーを食べるなんて、こんな光景が日常的に見られるのは日本だけだろうね」と言う。
でもニューヨークのマクドナルドなら、バッドマンやスーパーマンが向かい合って経済の話とかしてそう。(もちろんコスプレ)
彼女にアメリカの民族衣装や伝統衣装を聞いたら、「ない」と即答された。
先住民にはそれぞれ部族の衣装があるし、海外からの移民なら出身地の服を着るから、「アメリカ人全体の民族衣装」というのは想像できない。
そのアメリカ人は黒人で、先祖はアフリカから奴隷として船に乗せられ連れて来られた。
出身地は西アフリカのどこかだろうけど正確には分からない。
親や自分はアメリカで生まれ育っているから、いまさらアフリカの服が自分の民族衣装とも思えない。
だから浴衣や着物ような伝統衣装を見ると、「いいなー」と少しうらやましく思うらしい。
アメリカについてあえて言えば、ケンタッキーの店舗前に立っているカーネルおじさんはアメリカ南部の伝統的な格好をしているらしい。
この人物はフランスを代表する文化人類学者のレヴィ・ストロース。
浮世絵などの日本文化を高く評価したこの親日家はこの国をこう表現した。
「日本には、一種の連続性という絆があり、それはおそらく、永遠ではないとしても、いまなお存続しているのです。」
形や目的を変えつつも、平安時代の湯帷子が江戸時代には浴衣になって、現在のものに変化してきた軌跡にはたしかに連続性がある。
さすがレヴィさん、日本という国をよくわかってらっしゃる。
アメリカの場合、まだ建国してから歴史が浅い。
海外からやってきて定住して、3世4世になると出身国の言葉を話せない人も多いから、この過去との連続性という点はうすい。
こちらの記事もどうですか?
コメントを残す