日本の「ぼったくり」は、大正時代から。第一次世界大戦からの米騒動。

 

「日本の高速道路がすごい!」

という前回の話の続きで今回からは、「日本の料金支払いシステムがすごい!」って話。
なぜなら、ぼられることがないから。

逆に言えば海外だと、いろんなところでぼったくられる。
まずは「ぼる」という言葉が、日本でいつ・どうやって生まれたかということを書いていこう。

 

 

この世で絶対に敵に回してはいけない人、それは全国の主婦。
子どもや家族のためなら何でもできるから、母は強し。

全国の主婦を怒らせるのは簡単で、生活必需品の値段を上げればいい。
それも「それがなければ命にかかわる」という絶対に必要なもの、例えば米の値段を吊り上げたらいい。

大正時代に米価が短い期間で爆発的に上がってしまい、日本の主婦の怒りが爆発した出来事を「米騒動」という。
1918年に富山県で漁村の主婦たちの蜂起し、それが全国に影響を与えて米価引下げや安売りを要求し暴動が発生。参加者は約70万人以上で、軍隊を出動させて3カ月後にようやく鎮静化させた。

全国の主婦を怒らせると軍隊が必要になるのだ。

 

 

でも、ものごとにはそうなる段階がある。

米騒動の遠因は1914年に起きた第一次世界大戦で、この戦争のせいで物価が上昇。
身の回りの物の値段がどんどん上がっていって、「このままじゃ、国民の生活が大変になる!」と考えた日本政府は1917年に「暴利取締令(ぼうりとりしまりれい)」を出す。

第一次世界大戦の物価の暴騰に際し、買い占めや売り惜しみなどを抑制するために定められた農務省令

(大辞泉)

 

「買い占めや売り惜しみ」をしていたのだからこれは、不正な手段で金をもうけようとした商人が悪い。
このときの米の値段の上がりっぷりはこんな感じ。

1918年(大正7年)の1月に1石15円だった米価は、6月には20円を超え、翌月7月17日には30円を超えるという異常事態になっていた(当時の一般社会人の月収が18円 – 25円)

(ウィキペディア)

 

今の日本でも、米の値段が半年で2倍になったら大騒ぎになる。
遊びに行けないし貯金もできない。

こうなったときの主婦たちの怒りは想像できない。
「日本死ね」というレベルではないはず。

 

ちなみに米騒動がおきた大正時代は、「大正デモクラシー」と呼ばれる民主主義が生まれた時代でもある。
民主主義が「戦後、生まれた」と思っている人はいませんか?
戦前から日本にありましたよ。

この時代、庶民の生活にとっては選挙の一票よりも米の一表のほうが大事だったはず。
食べ物がなくて民主主義が成り立つわけがない。
腹が減っては選挙もできない。

 

 

さっきも書いたけど、「値上がりをおさないとヤバい」とあわてた政府が出したのが「暴利取締令」というもの。

そして、この「暴利」からうまれた言葉が「ぼる」だ。

ぼる

語源は米騒動の際の暴利取締令にて「暴利」を活用させたものであり、しばしば短縮されて「ボッタ」、動詞として「ぼったくる」「ぼられる(ぼる)」と表現される

(ウィキペディア)

 

「ぼる」とは、「暴利」の動詞になる。
「暴利る」が「ぼる」になったのだろうか?
「事故」という名詞が、「事故る」という動詞になったような感じかも。

 

大辞泉をひくと、暴利とは「正常な程度を超えた不当な利益」とある。
海外でぼったくられた場合、50円や200円という小さな額でも、猛烈に腹が立つ。
これは「相手が不当に儲けているから」であって、決してその金額が問題ではない。

 

 

とにかく、この「暴利取締令」の「暴利」から「ぼる」という言葉がうまれた。

このできごとの前には、「ぼる」という言葉は日本にはなかった。
だから米騒動を背景とした不当な値上げが、「日本初のぼったくり」といっていいと思う。

 

さかのぼって考えると、第一次世界大戦が起きたことが日本初となる「ぼったくり」の原因になっている。

この「暴利」から生まれた「ぼる」という言葉には、主婦の怒りが込められているようだ。

やっぱり、主婦だけは怒らせてはいけない。
現在でも、主婦を敵にまわすととんでもないことになる。

 

海外に行くと、ぼったくりが本当に多い。

次回に、ボクのぼったくられ体験を書いていきます。
そうしたら、「日本ではどこでも適正料金で、バスチケットを買うことができる」ということのありがたさが分かってもらえるはず。

 

おまけ

米騒動は太平洋戦争前のできごと。

戦後では、1973年に米ではなくて「トイレットペーパーがなくなる」といううわさが日本中に広がって「トイレットペーパー騒動」というものが起きている。

10月下旬には「紙がなくなる」という、根拠の無いデマが流れ始め、同年11月1日午後1時半ごろ、大阪千里ニュータウンの千里大丸プラザ(現:ピーコックストア千里中央店・オトカリテ内)が、特売広告に「(激安の販売によって)紙がなくなる!」と書いたところ、300人近い主婦の列ができ、2時間のうちにトイレットペーパー500個が売り切れた

(ウィキペディア)

小売店では、店頭にトイレットペーパーが並ぶや否や客が押し掛け、商品を奪い合う人すら見られた。デパートなどでは余りの混雑振りに、トイレットペーパー販売のたびに迷子も多数発生したという。日本国政府は、国民に買い溜めの自粛を呼びかけたが、あまり効果はなかった。

 

「トイレットペーパーがなくなる!」ということで、このときも全国の主婦がパニックになり、日本をゆるがす大騒動にまで発展している。

さすがに軍隊を必要とする事態までにはならなかったけど。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。