日本人・インド人・アフリカ人の動物愛護精神、同じと違い

 

きょう1月14日は、日本人が感動の涙を流した「タロとジロの日」。
1958年(昭和33)年の2月、やむを得ない状況から、連れてきた15匹の犬を残して南極観測隊員が日本へ帰国する。
(観測隊は激しいバッシングを受けた。)
そして翌年の1月14日、隊員が南極でタロとジロの2匹の生存を確認する。
その知らせに全日本中がわき、「よかったよかった タロー ジロー」なんて歌がつくられるわ、開業したばかりの東京タワーに15頭の犬の像が設置されるわの大フィーバーとなった。

この出来事は世界中の人の心を震わせて、2006年にはウォルト・ディズニーが「Eight Below」(『南極物語』)という映画を製作する。
*15ではなくて8匹というのは、なるべく動物を殺したくないというディズニーの意向による。

 

さて以前、インド人とアフリカ人と中国人と一緒にハイキングをしていたら、道沿いにこんな小さなお墓を見つけた。
「嵐」と「ねじり」って?

 

 

地元の人の話ではこれは犬の夫婦で、飼い主がこの犬をメッチャかわいがっていて、それぞれが亡くなると隣り合わせでお墓を建てたという。
この話に「マジか‥」と感動するインド人とアフリカ人。
一方、中国人は「オスのお墓の方が大きいのは男尊女卑ですね」とまるで空気が読めない。

インドやアフリカでもこんなふうに、飼い主が動物のお墓をつくることはあるという。
だから、ペットを失った悲しみや動物愛護の精神は国境や宗教の違いを超えて、完全一致とは言わないが共通している部分が大きい。
それがヒューマニティー。

 

でも、別の機会に行ったお寺でこの仏像について話すと、インド人もアフリカ人も「それはない」と口をそろえる。

 

 

ペットのお墓ならある。
でもインド人もアフリカ人もワン・ニャンをはじめ、あらゆる動物を供養するためのペット観音のようなものは母国で聞いたことないという。

日本ではむかし、馬を使って移動したり荷物を運んでいる途中で、病気などで死んでしまう馬もいた。
するとそれを気の毒に思った日本人が、観音菩薩の化身のひとつで馬の守り神である「馬頭観音」に供養を願って、この像に手を合わせた。
馬の健康や安全を祈願する馬頭観音の像は全国各地にある。
こうした信仰は日本に広くあるから、すべての動物を救う「ペット観音」が生まれたと思われ。

観音さまといえば普通は慈悲にあふれたおやさしい顔立ちをしてるけど、馬頭観音は下のような怖ろしい憤怒の表情をしている。

 

 

馬頭観音のルーツをたどると、ヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌに行きつく。
ヴィシュヌの化身のひとつで、「馬の首」を意味するハヤグリーヴァという神がいつの間にか日本の馬頭観音になったとか。
でも、このときいたヒンドゥー教徒のインド人は犬の神なんて聞いたことがなかった。
猿の神ハヌマーンや牛の神ナンディンのように、動物を神格化することはヒンドゥー教の大きな特徴だから、馬頭観音みたいな動物の守護神はいる。
でも日常では生きている動物を大事にするだけで、死んだあとはあまり気にしない。
ペットのためにお墓をつくることはあっても、仏教と同じく輪廻転生を信じるヒンドゥー教でも、より良い来世や成仏を願ってこんな像を建てて供養することはないらしい。

アフリカ人の場合は、「アフリカ人」をひとつと考えないで、キリスト教徒やイスラム教徒のように宗教で分けて考えるべきだという。
まずイスラム教徒には犬を嫌う人が多いから、犬への見方がキリスト教徒とは根本的に違う。
ペットの死体を埋めて簡単なお墓をつくることは、彼の母国タンザニアでもおかしいことではない。
でもキリスト教徒の彼には仏教やヒンドゥー教徒とは違い、輪廻なんて関係ないし動物を神とする発想もない。というか、そういう発想は一神教では厳禁。

犬や猫をかわいがったり、亡くなると悲しむ動物愛護の精神は世界中にある。
でもそれに信仰が合わさって、ペットや身の回りの動物の供養を願い、観音菩薩の像をつくって手を合わせる日本人はかなり特別だと思う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。