「ぼったくる側の論理」。エジプト人の言いわけ。

 

今日の一言

「愛くるしい日本国民の微笑、比類なき礼節、上品で果てしないお辞儀と明るく優美な表情には、はるかに心よさを覚えます。(シドモア 明治時代)」

 

 

まず、「ぼったくり」の「ぼる」という言葉について。

「ぼる」という言葉は、大正時代の米騒動のときの「暴利」から生まれている。
だから、この「ぼる」という言葉には、米の値段を不当に上げられた日本全国の主婦の怒りが込められている(きっと)。
今でも、日本人が「ぼる」、「ぼられる」と言う場合は、相当の不満や怒りがあることは間違いない。

 

大辞泉を引くと、暴利とは、「正常な程度を超えた不当な利益」とある。
だから、「ぼる」というのは、必ずしも、値段の高さが問題ではない。
要は、それが「正当な利益」か「不当な利益」かどうかが、問題になる。

 

この「不当な利益かどうか」の判断は、とっても難しい。
日本国内だったら、商品にある値札の価格が適正価格なんだろうから、判断に迷うことはない。
これが、外国で物を買うとなると、その値段が「正当」か「不当」なのかをどうやって判断するのか?
宿の現地の人に相場を聞いたり、店を3つ4つまわって値段を聞いて何となく値段を把握したりするのが、一般的なやり方だと思う。

 

値段が不当かどうかは、金額ではなくて、「そう感じるか」「そう感じないか」という感覚の問題でもある。
買う方が「その値段は、不当だ!」と思っても、それを売った側は「この値段は、不当じゃない!」と思うことある。
それは、同じ値段でも、「不当」に見えるか「正当」に見えるか、という価値観の違いを表していることもある。

 

東南アジア・インド・中東・アフリカで買い物をするとき、値段交渉に苦労する。
値段交渉が「楽しい」と感じていたのは、東南アジアまで。
インドから西に行くと、とんでもない値段をふっかれられたり、強引だったりして、不快指数がたまるたまる。
個人的には、特にエジプトでの買い物に苦労した。
そもそも、エジプト人の場合、言い値が高すぎる。

 

エジプトで、「ガラベーヤ」というエジプト人がふだん着るような服を買いに市場に行ったことがある。
エジプトの買い物は、とにかく、時間がかかって、疲れた。
まずは、3、4の店に行って値段を聞く。
これだけで、かなりのエネルギーを消費する。

ある店に入って、ガラベーヤの値段を聞いてその店を出ようとすると、腕をつかまれる。
「いくらなら、買うんだ?触ってみろ、ウチの店の物は、よその店の物とは質が違うんだ」
と、世界中の店のオーナーが言いそうなことを言って、なかなか店を出させてくれない。
言い値が低くて、何となく値を下げられそうな店を決める。

ここまでで、1時間30分くらいかかったと思う。
そこで、2~30分くらい値段交渉をして、やっとガラベーヤを買うことができた。
日本のように値札にあれば、すぐ買うことができるけど、適正価格が存在しない国だと、店が「不当な利益」で売らせないために、すごく時間と手間がかかる。

 

もちろん、値段も人によってあまりに違う。
ガラベーヤも、現地人と外国人は違うし、宿に帰って他の日本人旅行者は、ボクよりもっと安くガラベーヤを買っていた。
どう見ても、同じ物なのに。

 

「エジプトでは、何を買うにしても「外国人価格」があって、地元の人より高くなる。外国人と地元の人で差をつけることはおかしいだろ?外国人もエジプト人も同じ人間なんだから、同じ値段にするべきだ」

これを、エジプト人に文句を言ったことがある。
まだ、海外旅行2回目で、海外の習慣にも慣れていないし、変な正義感もあったころだ。

 

これに対して、エジプト人は、こう反論する。

「いや、値段が人によって同じ方がおかしいだろ!」

彼の話だと、物を売る側は、自分と相手の「距離」によって、値段を決めるのだという。
売る相手が、自分と同じ一族や知り会いなら安くする。
同じエジプトの人間でも、地方出身者なら少し高く売る。
外国人なら、当然、もっと高くなる。

 

これと同じことをインドのヴァラナシという街の商店のオヤジも言っていた。
インド人の場合、言葉のなまりで地方出身者かどうかは、すぐに分かるらしい。
話を聞くと、インド人もインド人にぼられているらしい。
じゃあ、日本人なんてぼられて当たり前だな、と思った。

 

彼らから聞いた限りでは、エジプトやインドでは、それこそが「正しい売り方」で、外国人に高くふっかけるのは、まったく不当ではないという。
どうも、日本でいう「適正価格」という考え方がないようだ。
むしろ、自分の知り合いやまったく知らない外国人に、同じ値段で売ることの方がおかしいし、不当だという。

 

「自分との近さ」以外でも、相手が貧しいと思ったら、安くするという。
この辺は、日本のように値札で定価があるわけじゃないから、売り手が自由に値段をつけることができる。
話を聞いたエジプト人は、こう言い切った。
「店の人間とはまったく関係ない外国人で、しかも金持ちなのに、『現地の人と同じ値段で売ってくれ』と、考える方がおかしい」
と、すがすがしいほど、はっきり。

 

結局、彼は、金額じゃなくて、「負担」の平等を重視しているんだろう。
確かに、ボクがガラベーヤに500円を払った場合と、現地のエジプト人が500円を払った場合、金額は同じでも、負担はかなり違う。

 

2009年のカイロの人たちの平均月収は約50000円(1ドル108円で計算)になる。
2009年の東京の人たちの平均月収は、約39万5000円になる。
「金額」に注目すれば、エジプト人も日本人も同じ500円にすることが平等になる。

 

「負担」に注目すれば、まったく違う。
さっきの月収から単純に考えれば、エジプト人にとっての500円の負担は、日本人の4000円の負担に相当する。
「負担」という点から考えれば、同じ500円で売った場合、日本人は500円を払うだけだけど、現地のエジプト人には4000円を払うことになる。

 

これは、平等なのか?
と、エジプト人の彼から聞かれたようなもので、そう言われると、「誰でも、すべて同じ金額」が平等とも言えなくなる。
日本だと、服でも小物でも適正価格が値札に書いてある。
日本人、地方出身者、外国人が同じ値段を払って買うことが当たり前で、ボクもそのやり方にすっかり慣れてしまっていた。

 

だから、エジプト人にしてみれば正当な値段設定でも、ボクから見たら「不当」に見えてしまう。
でも、エジプト人の話を聞いて、彼らの価値観や常識を知ると、必ずしも「ぼったくり」とは言えないなあ、っとエジプト旅で感じた。
単純に金額だけじゃなくて、彼らの常識から考えると、別の見方もできる。

 

何が不当か正当か?
この答えは出なくてもいい。
こいうことを地元の人に聞くことで、日本とは違う価値観や見方、現地の社会を知ることが大事だと思う。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。