はじめの一言
(日本の花見を見て)「入り乱れて行きかうすべてが、何と静粛で整然としていることだろう。乱暴な行為もなければ、酔漢の怒鳴り声もしないー行儀のよさが骨の髄までしみこんでいる国民だ。(ベルツ 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・前回のまとめ
・アウト・カーストって?
・日本人のアウト・カースト出身者
・インド旅で見たアウト・カーストの生活
・前回のまとめ
タージマハルの外国人料金は、インド人のなんと38倍!
でもインドでは、税金を払っているのは国民の3%のお金持ちだけ。
そのインドの金持ちたちの生活は前回紹介しました。
今回はこの税金を払っていない97%の中で、もっとも困難な立場にいる「アウトカースト」の人たちの生活を紹介します。
ただ、「アウトカースト=すべてが貧しい」というわけではもないです。
アウトカースト出身で法務大臣になったアンベードカルやお金持ちもいます。
でも、ほとんどのアウトカーストの人たちが貧困であることは変わりません。
・アウトカーストって?
中学生のときに、「カースト」というインドの身分制度を習ったと思う。
でも今は違う。
今の教科書では、カーストではなくて「ヴァルナ」と書いてある。
ヒンドゥー教の4つの身分「バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ」をむかしは「カースト」と言ってたけど、今では「ヴァルナ」という。
知らなかった人は、これを機に「カースト」から「ヴァルナ」にアップデートしておこう。
でもこの記事では、多くの人になじみがある「カースト」という言葉を使うことにする。
カースト制度では、この4つのカーストに入っている人たちは「カースト・ヒンドゥー」と呼ばれていた。
でも、この4つのカーストに入ることができない「アウト・カースト」と呼ばれていた人たちもいた。
こうした人たちの呼び方はいろいろある。
「アンタッチャブル(不可蝕民)」・「パリヤー」・「ハリジャン」・「チャンダーラ」などなど。
彼らは、インドでこのような存在とされていた。
不可蝕民というのは、ヒンズー社会の最下層級であり、太古の昔からカーストヒンズー(不可蝕民以外のヒンズー教徒)によって、『触れるべからざるもの』として忌避(きひ)されてきた
(アンベードカルの生涯 光文社新書)
彼らはこうしたカースト制度の元で激しい差別を受けていた。
生活は次のようなものだったという。
住居も、町や村外れの、不潔な、生活用水もない場所に定められ、木の葉や泥以外の家に住むことができず、その暮らしは家畜以下であった
(同書)
アウト・カーストの人の家
・日本人のアウト・カースト出身者
このアウトカースト出身という日本人がいる。
それが鎌倉時代の僧である日蓮。
「日蓮宗(法華宗)」を開いたお坊さん。
日蓮
法華宗(日蓮宗)の開祖。
安房国の漁師の子として生まれ、「施陀羅(インドで漁猟などに従事する階級)の子」と称した。天台宗をはじめ諸宗を学び、法華宗を開く。(日本史用語集 山川出版)
この「こんな説明がある。
インドの被差別民チャンダーラが漢音訳されたものである
(ウィキペディア)
このチャンダーラという身分は、カースト制度の中ではアウト・カーストになる。
日蓮自身が、自分を「施陀羅の子」と言っていた。
ここから、「日蓮は、施陀羅(チャンダーラ)カースト出身」という話ができた。
ただ、なんで日蓮がそう言ったのかはいろんな説がありよく分からない。
・アウトカーストの生活
ボクがインドを旅していたときのこと。
インド人のドライバーに、このアウト・カースト人たちが住む村に案内してもらったことがある。
ドライバーは、その村が地域を「トライバル・エリア」と呼んでいた気がする。
特定の部族が住んでいる場所らしい。
そしてそこに住んでいる人たちを「マウンテンピーポー」とも言っていたと思う。
その村の人たちはアウト・カーストに属する人たち。
上位カーストの人たちが彼らと一緒に生活することを嫌がり、彼らに差別を加えていた。
それでアウト・カーストの彼らは、人里離れた山の中に村をつくって暮らすようになったという。
まずは、村の有力者(村長?)にあいさつ
車から降りてまず感じたのは、村全体からただよう強烈なにおい。
家の中に案内されたので入ってみると、母親(祖母?)が鍋で料理を作っていた。
彼らは、「プライバシー」というものをほとんど気にしないようだ。
この村の女性はじゅうたんや小物などを作って売って、生計を立てているらしい。ボクもすすめられたけど、荷物になるし気にいった物もなかったから買うことはなかった。
ごめんなさい。
村を出た後に、ドライバーにこんな質問をしてみた。
「彼らは税金を払っているの?」
「払うわけないだろ」
と、一蹴される。
彼らが税金を払っていない理由を聞いてみる。
その理由がたくさんあってインドらしい。
「そもそも、彼らはお金を持っていないから」
「もし彼らがお金を持っていたとても、街からこんな離れたところにまで誰も取りに来ないさ」
「それに、彼らはアウトカーストの人間だからな。ヒンドゥー教の上位カーストの人はあの村には近づかないよ」
といったことを話す。
まあ、銀行振り込みとか給料から天引きするとかは、絶対ムリだろうけど。
彼らには税金を払おうにもお金がない。
彼らから税金を取り立てる現実的な手段もない。
どう考えても、彼らが税金を納めることはムリだ。
それにしても驚いたのは、税金の取り立てにもカースト制度が関係していること。
彼らにはしてみたらそれが常識なんだろうけど。
「オレはイスラム教徒だから、あの村に行けるんだ。ヒンドゥー教徒のドライバーだったら、行かなかったさ」
たしかにイスラム教徒にカースト制は関係ないからね。
つくづく「インドだな」と思う。
でも、「税金を払わなくていい」なあ」というのは、単純にうらやましい。
中国の言葉で、「苛政(かせい)は虎(とら)よりも猛(たけ)し」というものがある。
悪い政治(重税や厳しい刑罰をおこなう政治)は人を食う
虎よりも恐ろしいということ。だから、悪い政治はしてはなら
ないということ(知識の泉HPより)
貧しい人に重税を押しつけ、暴力的にムリやり税金を取り立てるような政治は、虎よりも恐ろしい。
ということらしい。
だから、世界中の金持ちはパナマへ逃げたのだろうか?
この村では、重税以前に税金がない。
けど、それと同時に一切の行政サービスもない。
役所も警察も裁判所もハローワークも図書館も公園も、この村にはない。
この村で何かトラブルが起きたら、警察や裁判所ではなくてすべて村の掟(おきて)で解決するらしい。
インドの法律が適用されないから、村の女性や子どもや貧しい人たちといった弱者は、かなり厳しく裁かれることになる。
裁かれるというか、やっていることは人権侵害。
本来なら、裁いている彼らこそ裁かれないといけない。
具体的にはネットで調べてほしい。
ここで書くのははばかれる。
まったく税金を払っていない代わりに、一切の行政サービスや保護を受けていない。
となると、彼らとインドという国のつながりは何だろう?
ドライバーはこう言う。
「そんなものはないよ。彼らはあの村で生まれて生きて死ぬだけ。選挙もしないし、インドの政府とも関係がない」
この村に住む人たちはこのドライバーとは言葉が違うため、意思の疎通が難しいのだという。
「あの村の人たちと話すより、おまえと英語で話す方がまだ楽だよ」
本当か?
同じインド人より、英検2級の日本人の方が会話がしやすいって。
インドは東西ヨーロッパを合わせた面積とだいたい同じ。
「インド人」といっても、インドには本当にいろんな人がいる。
あの村の人たちの場合、「自分はインド国民だ」なんて思っていないだろう。
「村の人」と「それ以外の人」という、二つの区分くらいしかないんじゃないかな?
よかったら、こちらもどうぞ。
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