インドで平和を考えた② ~「あいつ、嫌だな」という人があなたを成長させる~

 

前回のまとめ

人事にいる友人に、「魅力的な人間とは?」を聞くと、「たくさん数」の人とつき合ってきた人間ではなくて、「いろいろな種類」の人とつき合ってきた人間という。

結局、自分と価値観や考え方の合う同じ種類の人間とだけ付き合っていれば、ストレスもなくて楽なのだが、自分の成長は見込めない。
語学の習得を目的としたワーキングホリデーで、失敗するパターンもこれと同じで、日本人と付き合って日本語しか使わない環境に身をおいてしまうことだ。

 

ワーホリの失敗くらいなら、個人のことだから大した問題ではないし、その後の人生でいくらでも取り返せる。

しかし、これが、会社の場合となると、個人の問題ではすまなくなる。

社長や上司が、自分と同じ価値観や考え方の人間だけを周囲に集めてしまい、判断を誤って会社を滅ぼすこともある。
自分が何を言っても、周りが「はい、分かりました」としか言わなければ、すべて自分の思い通りにことが進み、本人としては何の摩擦も感じず、居心地は良い。

 

しかし、そうしたイエスマンに囲まれた状態になれば、その社長や上司は、客観的にものごとを見ることができなくなり、正常な判断力もなくなってしまい、いずれは倒産やそれに近い大きな失敗をすることがある。

これは、かなり単純化して書いたが、倒産する前の「末期症状」にあった会社では、社長がこうした「はだかの王様」のような状態になっていた、という話を耳にしたことがある。

今、会社に何が起きているのかを正確に把握できずに的外れな対応をしてしまったり、会社が潰れそうなのに、自分たちの利益はできるだけ手に入れようと考えてしまったりする状況だ。

 

自分と合わない人間とつき合いことは面倒くさいし疲れる。

自分が何か言って、相手から「でも、それは、おかしくないですか?」と言われたら、大抵は、「イラッ」としてしまう。自分の思い通りにものごとが進まないとストレスも感じる。
けれど、そのイヤなやつの「ムカつく」視点から自分の考えを振り返ってみることで、自分では気づかなかったことに、気づくこともある。

人事の友人が言うには、会社の中には、「何だ、こいつは?」と思ってしまうような人間が必要なのだという。そういう人間がいない組織は、摩擦もなく和気あいあいとして居心地はいいのだが、結果を出せないという。そうならないためには、他人とは価値観や発想が違う「変わり者」の存在が不可欠らしい。

そういう人間は、普通の人では言えないことを言ったり、他人が思いつかないような発想をしたりして、組織を活性化させる「刺激」になることができるという。
ただし、それは、社会人としてのマナーや常識を身につけた上でのことで、単に世間知らずや非常識な人間のことではない。

 

「自分と似た価値観や考え方の人間だけを集めて構成された組織」は、政治の世界でも見られる。いわゆる「おともだち内閣」と呼ばれるものがそれだ。。

「goo辞書」では「おともだち(御友達)内閣」をこう説明している。

「内閣総理大臣が自分に近しい議員を多く登用して組織した内閣を揶揄していう語」
政治での失敗は、ワーキングホリデーの失敗や一企業の倒産とは、わけが違う。1億3000万人の生活に影響を与えてしまう。
もちろん、「お友達内閣」であっても、結果さえ出してくれれば、まったく問題はない。

世の中、自分とは合わない人間や自分にとってイヤな人は必ずいる。
しかし、そういう人間とも付き合わなければいけないときもある。特に仕事であれば、自分が人間関係を選ぶことができるはずがないのだから、イヤな上司や同僚と付き合うことは必ずくる。そうしたときに、先ほど人事の友人が言っていた「いろいろな種類の人たちと付き合ってきた人間」は強いのだろう。

 

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いろいろな人種・国籍・宗教の人たちが泊まるドミトリーは、出会いの宝庫だ。

イヤな人間は避けられないが、自分の発想方次第で対応は変えられる。
単に「会いたくない」「一緒にいると疲れる」と、どれだけ思っても状況は変わらないし、ストレスはたまる一方だ。

出会いは変えられなくても、自分の考え方を変えれば、ストレスを軽減させることができることもある。
そのイヤな人間を利用して、自分を成長させる機会にする、と考えることも一つだ。

「何で自分はこの人が嫌いなのか?」「自分の価値観とこの人間の価値観の違いはどうして生まれるのか?」というように、「そいつがイヤな理由」を感情的にはではなく、客観的に考えることは、自分にとって利益がある。

自分とはまったく違う視点や価値観から、改めて自分を見つめることで、自分を深く知ることができる。
むしろ、「こいつとは、絶対合わない」と思っていた人間の考え方が、あとあと振り返ってみると、自分には必要なものだったと気づく思うこともある。少し、現実離れした理想論に聞こえるかもしれないが。

 

イヤな人間がやっかいなのは、その人間を避けようと意識すればするほど、自分の中で相手の存在感が増してしまい、苦手意識やストレスが大きくなってしまうことだ。

そして、相手に「この人は、自分のことを避けている」と気づかれてしまうと、もう最悪な状態になる。
イヤな人間への対応は、その人間を避けることをさっさと諦め、発想を変えて自分からその人間にぶつかっていくことが大事だと思う。仕事での付き合いなら、その人と個人的に仲良くなる必要はないが、組織のメンバーとしてはうまくやっていかなくてはいけない。

今まで書いてきたように、自分を成長させるために有効なことは、自分とは違う価値観や考え方に接することだ。当然、ストレスを感じて苦しいこともあるが、そういうときに人は成長していくなだと思う。その辛さは、言ってみれば、「心の成長痛」のようなものだ。

 

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と、ここまでかなりの脱線を含めながら長々と書いてきた。

これは、ボクもインドの旅で、自分の価値観とは合わない「イヤな考え方」に接したけれど、あとあとになって考えると、それが良い経験だったと思ったことがあるからだ。
自分とは正反対の考え方に触れることで、いろいろなことを考える機会となり、ボクが見えていなかったことが見えてきた。

次回からはそのことを書いていきたい。
テーマは「平和について」という重くて大事なもの。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。