平和について思うところを書かせてほしい。
チョットえらそうに。
去年、日本では安全保障関連法(安保法)が成立しました。
マスコミでもさんざん取り上げられたこの出来事は、日本の今後にとって、歴史的な変換期になりそうです。
というわけで今回のテーマは、「日本の平和について」です。
「核兵器が戦争を防ぐ」という「核抑止」の考え方は、ボク個人としては受け入れにくいけど、「そういう考えが世界にはある」ということは事実としてある。
以前、ある作家がテレビ番組で、「日本が核兵器を持たないまでも、核武装の議論をするだけでも、それが他国への抑止力になる」と言っていた。
背筋が寒くなるような意見だ。
でも、「危険な考えだから、その意見を言うことは許さない!」としてしまうと、言論弾圧につながってしまう。
これもまた、背筋が寒くなる。
いまのインド政府は核兵器を保有している。
だから、「インドにはそれが必要だ」と考えているのだろう。
ボクが話を聞いたインド人も「インドの核兵器の保有は必要だ」と話していた。
「そんなものは、すぐになくせばいい」と思ってしまうのだけど、インドにはインドの事情がある。
だから簡単に、彼らを非難するわけにはいかない。
そのインド人の考え方とボクの考え方は違う。
でも、「違っている」ということは、「間違っている」ということではない。
そもそも、インドと日本は歴史がまったく違う。
インドには、「核兵器が必要だ」という考えを持つにいたった歴史や背景がある。
インドは第二次大戦後から今まで、パキスタンとの3度の戦争や中国との大規模な武力衝突(中印国境紛争)を経験している。
さらに近年でも、ムンバイで大規模なテロが起きている。
インドは、こうした社会を混乱させるような危険性を常にかかえている。
その点、日本は違う。
戦後70年以上、外国に攻め込んだことも、外国から攻め込まれたこともない。
だから、多くの人命が奪われるような武力衝突なんて起きていない。
国内でもオウム真理教のようなテロはあったけど、インドやヨーロッパやアメリカで起きたような大規模なテロはない。
日本は、世界でも例がないような安定した平和を保ち続けてきた。
でも、それは、どうやら戦後だけではないらしい
アメリカ人の友人と話をしていたとき、「日本は今までの歴史で、外国から攻め込まれたことはあるの?」と聞かれた。
「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」みたいな小さなことを含めれば、たくさんあるかもしれない。
これは「1019年、賊船50余りが対馬・壱岐から博多湾に侵入(日本史用語集)」した事件で、このときは、博多の武士団が撃退している。
でもこれは、「外国が日本を攻めた」というほどのものではない。
ちなみに「倭寇」というのは、「日本人の海賊集団」というわけではない。
特に後期倭寇については、「構成員に日本人は少なく、大部分は中国人であった(日本史用語集)」という。
「やっぱり、元寇のときだけかな」としか、このときは思い浮かばなかった。
「13世紀にモンゴル軍が攻めてきたときの、一度だけだよ」と言うと、そのアメリカ人が「えっ?一度だけなの!」と彼女が驚く。
彼女は日本へ来る前、韓国に住んでいた。
そのとき韓国人から、「韓国は歴史上、外国から攻め込まれてばかりだった」という話を聞いていた。
だから、日本の「一度だけ」という答えはまったく予想外だったらしい。
「じゃ、アメリカは?これまで、9・11以外に、外国に攻め込まれたことはあるの?」とボクが逆に聞くと、こう言う。
「もちろんあるわ。パール・ハーバー(真珠湾)よ」
あ、聞くんじゃなかった。
ただ、いま考えてみても、日本が外国から攻め込まれたと言えるのは、元寇しか思い浮かばない。
攻め込まれたのはその一度だけ。
日本には、外国に武力で制圧されて、その国の植民地になった経験がない。
そんな国は、世界でも珍しい。
戦国時代のように国内での混乱はあった。
でもヨーロッパや中国のように、他国や他民族からの侵略に苦しんだ経験はなく、その意味では、ずっと平和な国だったと思う。
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